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答えは自分の中にあるとみんな言うじゃない?

答えは自分の中にあるとみんな言うじゃない?


猫腰痛


埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。



桜は足早に散ってしまいましたが、



関東地方は例年より暖かいので


ハナミズキ、つつじまで咲き始めてます。



世相が穏やかじゃないので、



花を見ると穏やかな気持ちになれるのは



とてもありがたいです。



「痛い、辛いをわかってほしい」




「自分のことを聞いてほしい」




「自分のことを分かってほしい」




聞いてほしい方が多いです。




まあ、整体院ですから、身体の状態を確認しなきゃ始まりません。




『ここが痛いんですね。』




『ここがこう動きづらいんですね。』




そんなことは当たり前に聞きます。




結構ね。なぜかそれだけで、状態が変わる方もでてきたりします。




からだって本当に不思議ですね。




改めて、身体と心はつながっているって実感します。




でもね。究極言うとね。




お客様の痛みってわからないんですよ。




一人一人感覚って違いますからね。




感じ方が違うので、




僕が痛みを感じる程度と他の人が痛みを感じる程度は




完璧に一致することはないのです。




だから『それは、痛いですねー。辛かったですねー。』という




僕の言葉は




ホント言うと嘘なわけです。




でも不思議と状態は変わるんです。




まあ、相手もつわものですから気がついてる方もいらっしゃる。




「どうせ、こいつ口だけだろ? 




 あなたに私の痛みがわかるわけなんてないでしょう?」




でまあ、『はい』




本音言えばその通りなんですね。




究極本当はそこでご自身で気がついていただきたいんですね。




「あれ? もしかしたら、



 自分のこの痛みは他の人にはわからないんだ。」




「といことは、私も誰かの痛みは分かってあげられないんだ。」




「だから。痛みをわかってもららおうという心もちが違うんだ。」




「この痛みをわかってあげられるのは、わたし一人だけなんだ。」




 ここまで気づいて




「あー、やっぱり自分は孤独だー、一人だー、寂しー、悲しー



 だからやけになってほかの人に当たってしまえー」



 なんて思っちゃうか。



(お客様にも面倒な方が結構いらっしゃいます。)




「あー、本当は自分が自分の痛みを一番わかってあげてなかったん


 

 だーごめんね。私」みたいに、




自分の目を外から内に向けられるかが




とても大切な分岐点なんですけど




やっぱり「それでもわかってほしい」と言われる方多いです。




「自分がこの世界で一番つらくて、痛くて、不幸で、孤独だー」っ



てね。




そこで、最後に地獄に突き落とすみたいなんですけど。




『じゃあ。 


 

 そのあなたの「つらくて、痛くて、不幸で、孤独だー」ってお話




 を物語にして、本にして出版したら、世の中の方が泣いて泣いて




 共感してくれるようなベストセラーになっちゃうかもね。』 




と伝えると




「!??」





 ってちょっと立ち止まってくれる方がでてきます。





人によっては





「いやー、先生、それほどじゃないかもしれませんね。」





言ってくれたりもします。





そう。





よーくよーく聞いて差し上げるとですね。





まあ、僕の人生も人に話してみるとですね。




実に実に凡庸で、平凡で、




一度話したら忘れてしまうようなお話で。




自分で言うのもなんですが、




『じつにつまらなくて、面白くない』




たまに「いやいや、先生そんなことはないですよ。」




なんて慰めてくれるお客様もいたりするのがありがたいのですが。




でもね、ほとんどの人の人生のお話なんて残念なんですが、




『実は人生はたいして、面白くなくて、




 ありふれてるようなものですよ』




と言ったりします。





「そんなことない!」




言いたくなる気持ちもわからなくはないです。




そう思いたい方はまあそうしておいたらいいと思います。




でも、僕がこれまでお話を聞かさせていただいたお客様にもね。




『もしかしたらベストセラーになるかもね。』




くらいの方がたまにいらっしゃいます。




それでもね。




「あれ?もしかしたら自分の人生ってたいしたことないのかな?」




そう自分で思えるとね。




ホントそれだけで、




痛みも動きづらさも、病気も何にも変わってないんだけど。




何かが変わっちゃう。



(数値とか、結果とかそういうものじゃないところだから理屈や理



 論じゃ説明できないところ、まあ人は奇跡とか言っちゃうけど



 ね。かえってコトバにすると陳腐で野暮だね。)




たぶん別の次元に行けるんですね。




「あれ?自分って何をわかってもらいたかったんだろう?」




「実は、わかってもらいたいことってホントはたいしたことなかっ



 たんじゃないか?」




「あれ? そういう答えは実は自分で知ってたのかも?」




「もしかしたらそうかもしれない?


 

 ただそのこと(ありふれた人生)に気がつきたくなかっただけな   



 のかも。」




なかなかそこまで見つめられないですけど。





だから多くの人がスピリチュアル的なものとかね。





今オンラインサロンとかはやりみたいですね。





前は、会場に集められたけど集まれないから




ネットで配信するみたい。




耳障りがよくて、傷つかなくて、否定されなくて、




つかの間の間自分が認めてもらえる気がするのかもね。




でもそのサロンを主催してる方でも最後に




「答えは自分の中にあるんだよー」なんて言ったりするから




タチが悪いよね。




だって答えは自分の中にあるといいながら、




自分の所(他人に)に答えを求めてきたら




「やさしくしてあげる」




「認めてあげる」




「答えを教えてあげる」




『それじゃあ、結局自分に向き合えてないじゃない!』




みたいな矛盾した活動になってるしね。




それならよっぽど




「信仰すれば救われる」(宗教)




「ファンになれば楽しいよ」(アイドル、おたく)





みたいに堂々とやってしまったらいいと僕は思うんだけど。




そこに意味も答えも何にもないのに




結局思考停止させて、一方的に奪うだけの構造になっていることに




なかなか気がつけないようになっているのはね。




まあ、小さい頃から躾、常識、教育で洗脳されることに




慣れている人が日本人は多いから(素直なんですよね。)




『もう自分で考えるようにならないとだめよ!』




という経験になってもらいたいと




僕は思ったりもします。





たまにそんな僕を




「先生、先生、先生! 先生の言う事聞くから助けてください!」




みたいな方たまにいらっしゃいますけどね。




そういうお客様に応えてあげられる先生も世の中には



いらっしゃると思うけど僕はやっぱりそうなれないねー。




嘘だから、まあこの世は芝居と思えば、ウソっこもいいけどね。




感動することもたまにはいいものだし。




でも自分は偏屈、頑固、変わり者ってよく言われるから。




お師匠さまも




「人は、なおせないし、なおさない」って言ってるしね。




僕もやっぱりそう思うし。




僕が見せてあげられるのは、




答え(慰め、救い、承認などなど)




じゃなくてヒント(きっかけ)くらいなんだよね。



救いも感動もなくても、僕との時間が



何かのきっかけになってくれたらいいと



最近は思ってお客様との時間を過ごしています。




いつもまとまりのないお話に付き合っていただいて



ありがとうございます。