罵詈雑言と美辞麗句は似ている?
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
北海道、裏日本地域は
雪風がすごいみたいですね。
豪雪地域の雪嵐が
早くおさまりますように。
雪の後、関東地方は
すっきり晴れていますが、
風が肌に刺すように痛いです。
今年は冬らしい冬で
僕は、そんな空気が実は
嫌いではなく
気持ちまですっきりするようで
爽快さを感じたりもします。
「あんな奴いなくなればいいのに」
「死んじゃえばいいのに」
「消えればいいのに」
「死にたい」
たまにお客様が
ふとそんなことを
つぶやくことがあります。
いろんな想いがあります。
痛みや動き辛さで
精神的に参ってます。
そんなコトバを出すことで
なんとか心とカラダのバランスをとって
生きてこられたのかもしれません。
開業したての頃は
ちょっとそんなコトバに
耐えられなくなる自分がいて
父にはまだまだ生きて欲しかった
でもできなかったからですかね。
『そんなこと・・・・』
『いなくなったらさみしいものですよ。』
みたいなことは言ったかもしれません。
僕そんなに冷たい人じゃないとは
自分では思っているんですが。(笑)
今は、そんなコトバをかけることも
なくなりましたね。
ただただ、黙って、
お客様が紡ぎ出したいコトバを
出しつくすまで
出して差し上げる
その時間と場所に
僕がいるだけです。
もしかしたら
僕がいないときにも
お客様は変わらず
同じコトバを
出していらっしゃるのかも
しれません。
でもなんとなく
一人で言ってるのと
僕が聞いているときに
コトバに出しているのと
何か違うと思うんです。
いい方向へいくのか
悪い方向へいくのか
ちょっとわからないから
責任もとれないし
申し訳ないのですが
僕が聞いてると
何かが違っているといいな
くらいの感じです。
SNSなどでは
誹謗中傷、
罵詈雑言、
そんな聞きたくもない
見たくもないコトバが
あふれているところもあって
社会問題になっているようです。
そんなコトバ
「使ってはいけない」
「言ってはいけない」
「考えてもいけない」
押し込めようとすればするほど
どこかに歪ができて
結局はパンパンに張りつめて
弾けて出てくるのかもしれません。
僕が見てきたそんなコトバを
ふと出すお客様も
一見すると、
ごく普通の
そこらへんにいる
とっても温厚そうな
やさしそうな
いい人です。
でもなんかようやく
僕のところにたどり着いて
いわゆる
「言ってはいけないコトバ」を
ようやく吐き出せたのかも
しれません。
そこは
良い悪い、
好き嫌い、
美しい、醜い、
みたいな感覚を
通り越した
ところだったのかも
しれません。
感じた感覚を表現しないまま
自分の心と身体にしまいこんで
ため込んだまま
生きていると
その偏りがいつか
痛みや動き辛さ
最後は病というかたちで
現われることを
よく目にするからか
悪い方、良い方
どちらか一方ばかりに
偏りをつくり求めてしまう
人間の無意識的な病に
もっと自覚的になれないものかと
ずーっと答えが見えずに
生きてきました。
罵詈雑言、誹謗中傷
一方の対局にある
美辞麗句、賞賛
見つめてみるとどうでしょう。
「先生、すごいね。」
「先生しかいないよ。」
「先生、素晴らしい。」
ありがたいことですが、
初回からそんなコトバを
頂戴することもあります。
でもなんか、ちょっと不自然とか
違和感を感じることが
少なくないんですね。
僕がただ天邪鬼なのもありますが、
なにかから自分を守るため?
なにかを恐れている?
そんな感覚が
伝わってくることもあります。
「傷つけてはいけない」
「批判してはいけない」
「先生は敬わなくてはいけない」
「本音を言ってはいけない」
「差別、偏見はいけない」
「平等じゃなきゃいけない」
僕自身が
真っ白になりたかった時間が
長かったから(今もあるか)
そう思うのかもしれません。
それを諦められたくても
諦められないのが
人間なのかもしれません。
でも実際はみんな違うし
みんな違っていいのに
白もいろんな白があって
黒もいろんな黒があるように。
分かっているはずなのに。
白は一色の白。
黒は一色の黒。
この二つだけ。
生まれた後に後付けで
つけられた何かに(教育、躾)
そうさせられているのかもしれません。
神風は吹かなかったのかもしれません。
でも、
どちらか一方に傾いて
何かがぐるんと
変わるというよりは、
どちらも相まって
元々求めるところと
全く違うところに
着地して
「色々あったほうが面白いんじゃない?」
そんな新しい地平が開けることが
あるんじゃないかと
少し期待している年頭です。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院です。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今朝銀行にでかける途中
近くの農業用水が凍ってました。
久しぶりに関東地方も
寒い冬のようです。
寒い冬は人の出足が鈍りますが、
反して痛む人が増えます。
人が痛むのを喜ぶわけではないのですが
お役に立てる機会が増えるのは
ありがたいことです。
昨年、一昨年とコロナの影響もあり
お客様の来店が減りました。
仕方なくというか
おかげでというか
自分の身体を見つめる時間が増えました。
開業して一年過ぎたあたりから
両肩から手先にしびれが突然きて、
一時は腕を上げたり、
首を振り返るのも困難で
自分の身体を犠牲にして
誰かの身体をみるのは
間違いだとようやく気がつき
操体に出会い、
お師匠様に出会いました。
操体は自力自療を
基本に据えています。
だからお師匠様も
なおしてはくださいません。
自分の身体を自分でお手入れしていく。
今年でそれを意識し始めて
7年が経ちます。
お手入れしているのに
腕のしびれがなくならない
動きづらさがとれない
ぎっくり腰になる。
(ここ三年はないです。)
『プロなのに。
自分の身体さえも
なんとかすることができない。』
そんな状況に
がっかりというか
悲しいというか
惨め
そんな時間を
多く過ごしてきました。
身体は、
時間を経るごとに
痛みが少なくなり、
動きやすくなり、
しびれも断続的になり、
でも元通り、
すんなり
すっきり
スムーズには
なかなかならず。
イライライライラ。
お客様に当たることは
しないので
家族に
あたったことも
少なくありません。
そう、
みんなどこかの世界では
神さまだったかもしれなくても
この世界では人間。
この思い通りにならないことを
味わいたくて来たんだと
教わってなんとなく得心しても
やっぱり納得できない
この未熟な心。
『それで、いいんだ。
それでいいいんだ。』
なだめて、なぐさめて、
励まして。
そうして、また
自分の身体を隅々まで
触れていきました。
おしり
ふともも
あしくび
そけいぶ
あたま
くち
くび
普段は触れないところまで
奥深く隅々まで。
『あーそういえば、
あの時無理して
ランニングしたな。』
『あー仕事でぎっくり腰になったな。』
『たくさん、飲んだし、食べたなー。』
これまでの自分の身体と心に対する
傍若無人な行いが
頭の中によみがえってきました。
『いやー、これ
この10年のだけじゃないね。
これまでの40年の身体の歪みと
偏りをなおしてるんだもんね。
そりゃ時間かかるよね。
ほんとにごめんねー』
そんな気持ちになれた一年でした。
そんな心持になれたからなのか
昨年末からまた劇的に
自分の身体がよくなっていくのを
感じられてきていました。
以前は重症の方をみると
かなり自分も疲れたのですが
なぜか最近は
自分の身体の歪みがとれるようで
とても元気になります(笑)
それは、本当に自分の身体の歪み
偏りがとれてきて
どこか源(ソース)との
導管に、通り道に
完全になれてきているのかも
しれないと僕は感じています。
操体は、
原始感覚を見つめます。
原始感覚って覚えてないから
感じられないんじゃない?
と言う方もおられます。
そうですね。
味わったはずだけど
忘れてしまってるかも。
じゃあ、感覚、勘、第六感とでも
言い換えてもいいでしょう。
ちまたの科学的根拠とかは
とりあえず横においておいて
自分の感覚にしたがいます。
ただ「なーんとなく、いい」
そんな感じです。
そしてあんまり何にもせずに
ただそこに心地よくいるだけ。
今年も自分の身体にやさしく
お客様と一緒に
寛げるように楽しみます。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
本年もよろしく
お願いいたします。