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整体をお断りする時 


誰かがなおして(答えを)くれるという思いの癖 自力自療


猫腰痛


こんばんは、



埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。



速いもので四月も今日で終わりです。



昨日は関東地方は久しぶりに雨でした。



こないだの日曜日に市民農園の畑に石灰と肥料をまいたので



この雨で中性化されてエネルギーが入ってちょうどよかったです。



本当は肥料などやらなくてもいいのですが、



やりたがりの家族がいるので僕がやらされるわけです。



自分の意に反して行動することはあんまり結果がよくないのは



整体でもわかっていることなので、



「今年も作物がよくできますように」



とお願いしながらしています。



そうはいいながらも、自分気がつかないうちに



以前のサラリーマン時代の働き方のように



自分がやりたくないことをやらされていることがあったりするので



特にこの仕事を始めてからは



「自分がやりたくない。やってはだめだ。」と感じたときには



言いづらい時もあるのですが、



お客様に正直に「整体をお断りさせていただく」ことがあります。



かといって、



僕もなにも自分の気分でそうするわけではありません。



先日も初めてのお客様がいらっしゃって



問診票を確認させていただいているとき



「僕この世界(TV・放送の業界のようです。)だからさ

 


 いろんなカリスマとかゴッドハンドのところにも行ったことある



よ。でもどこもさ、もう全然でねー」



みたいなことをおっしゃいます。



まあ、そんなことをおっしゃるので。



『来て早々、ハードルあげますねー。嫌な客が来たなー』



とこちらも冗談で返しつつ、施術ベッドに座っていただきます。



(寝させません。)



そのまま座ったまま。




『じゃあ、右振り返って、左肩下げて。



天井をちょっと見上げる感じ』



僕は指示するだけで、少し動きをつけてもらいます。



お客様はちょっと訝しげにですがしたがってくださいます。



『それで、さっきの腰の痛みはどう?』



「あれ?! ちょっと痛くないかも? どうして」



『どうしてだろうね。



 僕は、今まで一度もあなたの身体に触れてないよね。



 あなた自身がただ少し動いただけだよね。』




「・・・・」



この春先の寒暖の差でぎっくり腰の症状がでてきたのですが



お客様は、狐につままれたように元気に車を運転してお帰りになり



ました。(笑)




こんな感じに、



「あそこも、ここもどこ行っても治らない」



なんてドアを開けるなり言い放つ方は



たいていこちらを試しています。



心の内には



「どうせここでもよくしてくれない。なおしてくれないだろう?」



って疑いの目とこれまでの痛み、時間、費用などに対する



怒り恨みがこちらに向けられています。



でも、



そんなの僕にとっては関係ないことなんですね。



なぜなら。



だって、そういう身体に壊したのは僕じゃなくて、



その人本人なんですから。



(まあ、先天的な奇形、障害を持って生まれた方などは



例外ですけどね。)



まずは、



「ああ、僕がこんな身体に壊してしまって申し訳ないな」って



心に思い至らないと変化はでてきません。




そして、もっと悪いことにそういった方の心の奥底には



「どこかの、誰かが、きっとなおしてくれるはず」というような



依頼心、依存心が心に巣くってしまっています。




この僕のお客様も、




1、2人本当に頼りにしていた治療家の方がいたんですね。




でも「その方が引退や亡くならられてしまった。」



そして「どこにも頼るところがなくなって困っていた。」



僕にしたら、



このお二人の治療家の方も療術に対する心得が間違っていた



と思うんですね。



(まあ、先達先輩に対して失礼だとは思いますが)




「自分がいなくなってお客様が困るような療術を



してはいけない。」




「僕らはなおせないし、なおさない」




「なおすのではなくて、本人になおしかたを伝える」




「人間は自らなおせるようにつくられている」



そういったことが



操体法の「自力自療」の根本に教えられている真髄です。




幸いなことにこの方は、身体に変化がすぐに出てきましたし、




若い頃スポーツに親しんでいた方でしたので、




僕の話すことをとてもよく理解して納得してくださった



ようでした。



もう当分お目にかかることはないとは思いますが、



僕が、この方をお断りすることはないと感じています。



10年ちかく療術をさせていただいてきて、



お断りしたのは数人ですかね。



それでも、すぐにお断りするってことはないんですよ。



やっぱりね。お見えになるんですよ。



ガンの末期でもう治療しても回復の見込みがない。とか



難病で痛みがどうしようもない。とか



病院で見放された方ってさまよって困っていらっしゃる方も結構多



いです。




僕の父も進行性のガンで、



手術後、抗がん剤治療、放射線治療の後のケアを



してくれるところなんてなかなかなかったですし、



だから自分でやるしかなかったし。



まあ、父ですから。再発したとか。



痛いとか文句言われても家族ですからね。



訴えられる心配はないですし、




そこんところは安心してやっていましたけど。



お見えになってご本人は隠そうとしていても



やっぱり分かりますもんね。



そうしたらなかなか断れない。



そういった場合はあらかじめ、




病気の再発や悪影響のリスクをご理解いただいた上で




お身体をみさせていただくこともあります。




これまでも難病、自己免疫疾患やガンの方もみてきました。




ガンの手術でストーマーをつけられて整体を受けられなくなっても




ご本人が希望されるので電話だけでもとお話をお聞きし続けて




鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。




では、僕がどういった方の療術をお断りするかというと



シンプルです。



一つ目は、



「自分の痛み、辛さ、病気の原因を誰かのせいにする方」



以前は、痛いの辛いのがあって参ってる人って



「自分のことを責める人」が多かったんですね。



「仕事も家庭もなにもかもうまくいかないのは、



自分が悪いからなんです。」




そんな想いの癖がある人は、痛いのも辛いのも我慢して我慢して




ひどくなると本当にうつ病になってしまう方もいらっしゃいます。



そんな方にはね。



『そんなに、自分を責めないで、厳しくしないで、



 楽にしてください。』



と言ったものですが(そう言ってもできない方が大半)



今は、ちょっと様相が変わってきまして、



「この痛いのも辛いのも、何もかも私が悪いんじゃなくて、



 なおしてくれない整形外科、整骨鍼灸院、



 整体師がダメなんだ!」



とこちらに文句を言ってこられる方もいらっしゃるので



閉口します。



なぜなら僕も、その端っこに生かしてもらっていますので。



まあ、どこに行ってもなおらなかったんでしょうね。



その怒りが、僕のところでも吹き出してしまって止まらない方もい



ます。



でもね。



僕にしたら



『元をさかのぼれば、



 そういった痛みや辛さの原因を作ったのは自分でしょ?』



と言いたいんですね。



よくよくお話を聞かせていただいて、



その始まりをさかのぼっていくと



まあ、先天的な奇形や障害、不慮の事故によるものなどではない限



りやっぱり自分で自分の身体を壊していることに気がつかれます。



気がついてくださると



元に戻らないとしてもやっぱり身体はそれなりに回復してきます。



中には、それでもどうしても自分以外に痛みや辛さの原因があると



訴えられる方もいらっしゃいます。



残念ですがそうした場合は



僕は受付をお断りすることにしています。



そして



二つ目は、



「本当に自分の痛み、辛さ、病気を



 自分でなおそうとする気のない方」



これは、人によってちょっとわかりにくい場合があるので




長く通われていても僕のお伝えしていることが伝わっていなくて、




その場の症状(痛みや動きづらさ)が取れるから通ってきてくださ



っている場合もあるので申し訳ないのですが、



病とか痛みがその方にとってメリットになっている場合があるんで



すね。



口では僕に「なおしたいんです。なおりたいんです。」と言ってい



るんですが、実際には心の奥底では「なおりたくない。」そう思っ



ている人です。



だから、僕がいろいろとよくなる術をお伝えしたとしても



口裏を合わせて



「そうですか。先生、それいいですね。こんどやってみます!」



なんて言ってくださるんですが、




実は全然お家でやってくださらない。



そして、また状態が悪くなると僕のところに来て



痛みや辛さがなくなるので



「先生はやっぱりすごいです!



 どこ行ってもだめですけどここだけです!」



なんてほめてくださるので、こちらもいい気持ちになって



すっかり勘違いしてだまされてしまうことがあるので



注意が必要です。



こういった方は、整体を痛み止めや湿布と同じように




都合よく対症療法的に見ておられるので結局よくなりません。



僕的には経営的には通ってくださるのですから、



これほどうれしいことはないのですが、



でも、操体法の「自力自療」、僕の本音に反していることなので



いずれ言いにくいことですが、



施術をお断りすることをお伝えしなければならなくなります。




僕自身が身体のバランスを崩していた時は、



自分が自分の身体をいじめてたなんて気が付かなかったんですね。



でも喘息がひどくなって、漢方のお医者様に通うようになって、



本当に治そうと思ったんですね。



その時から、お酒の飲み方、身体を温めることなどを気をつけ始め



ました。



身体がよくなって喘息が出なくなってきても




体重が減りませんでした。




そうして父ががんになりました。




父と一緒に食事療法をして、野菜や果物をとるようにしたり




玄米、砂糖、塩などに気をつけて、




食べる順番、断食なども勉強しました。




そして体重が15キロ以上減りました。




喘息も10年以上起きなくなり




20年以上悩まされたアレルギー性鼻炎による鼻ずまりもなくなり




『体質って変わるんだ。病気ってなおるんだ』ことを




28歳から約20年かけてその変化を実感して体感してきて




今も継続して身体を大切にするようにしています。




だからお客様が本気なのか、




そうじゃないのかってある程度見抜けちゃうんですね。




「なんか特効薬みたいに。




 即席、即効、簡単にチュッとなおしてくれるんじゃないか?」




みたいな間違った考え方を持ってるとね。



それでも僕もそんなに教条的(カルト的)に厳格に



やってるわけじゃないんですね。




今は、甘いものもたべるし、




月一度くらいは缶ビール一缶くらいは飲むかな。




たまにはスナック菓子、




ジャンクフードにレモンサワーを飲んだりします。



するとね。



翌日すぐに、鼻がぐずぐずするんですね。




『あーやっぱり。僕には油と化学調味料が合わないんだなー。』




って気がつきます。




そしてジャンクは止めます。




『やっぱり、鼻がつまらない方がいいな、幸せー』って思うので、




また生活をもとの状態に戻してあげることができるんですね。




身体が心地よい方が僕にとっては、




ジャンクフードを食べ続けることより大切なことなんです。



身体に悪いとわかっていて摂ってしまうというのであれば、



それはおそらく心の方になにか満たされない気持ちがあるのかなと



僕は感じています。



でも『身体を悪くしているのは、誰でもなく自分なんだな』と



再確認するためにも、たまのこんな息抜きも大切かなと今は思って



ます。



人生正しいいことばかりだと息がつまりますよね。



だからたまに間違ったこと(世に言われる悪いこと)もしてみる



と、やっぱり正しいことをして間違わないことが心地よいことだと



気がつけるのがこの世界で生きていることなんだと僕も気がついて



きたからです。



(正しさは、その時々で変化するという柔軟な思考も大切です。



 たまに間違わなければ、善悪、正邪などに気がつけないのがこの



 二元の世でそれを体験しにこの世に私たちは生まれてくるとも言



 われています。悪や邪を完全に排除しようとしてもそれは不可能



 なことなんです。

 

 

 それに接して自分がどう対応するのかを、試され、生かされてい    


 

 るとも言えます。)








操体法の自力自療は理想です。



理想ってなかなか達成されないことです。



普通の人には、ハードルが高いです。



僕にしても、今はどこの病院に通うわけでもないですが、



たまには、お師匠様のもとで仲間に自分の身体をみていただくこと



もあります。



自分が自分のことを一番よく知っているといわれる方もいらっしゃ



いますが、本来人間は自分のことが自分では、



わかりにくいものです。(鏡を見ないと自分の顔は見られないし、



その顔も本当の自分の顔ではないですね。)



なので自力自療をきわめていってしまうと



どうしても「独り善がり(独善的)」になってしまいます。



そういった意味でも僕は、



相力想療(そうりきそうりょう)



=「お互いに力を合わせて、想い合い、労り合うことでなおる」



ことをお伝えしています。




できれば、断りたくはないんですけどね。



それでもやっぱり、



たまには「ダメは、ダメ」伝えなければならない時もありますね。



今日も読んでいただきありがとうございました。



人のためじゃなく、自分のためにやってたんだね。(呼吸)



猫腰痛


こんばんは、



埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。



もう春を通り越して



初夏のような陽気になってますね。



寒暖の差が激しい季節なので、



少しづつぎっくり腰や寝違いのような症状のお客様が



お見えになってきました。



お客様には辛い痛いことですが



僕にとっては腕の見せ所、ありがたい限りです。




僕のお伝えしている操体法(そうたいほう)



その思想の根幹に据えられているのは



「自力自療(じりきじりょう)」



=「自分の身体は自分でなおせるようにできてるよ。」




その上で



「息食動想・環境(そくしょくどうそう・かんきょう)」



息=呼吸 息をすること



食=食事 食べること



動=動くこと


(※単純に運動するではない、身体を壊さない動き方をすること)


想=想うこと(いつもの自分の考え方)



環境=自分の身を置く場所を選ぶこと


(家庭、職場、地域コミュニティーなど)



このどれか一つでもバランスを偏って崩れた状態(60点以下)で生



きていたりまた、どれか一つでも完璧を求める(100点、完璧)逆



の意味での偏りが見られると人間の身体は、病的な変化を現わして



(現象化)すると教えられています。



「ホントはすべてがほどほどでちょうどいい。」



(少しくらい痛いぐらいでちょうどいい)んですね。



「まにあってればいい。」




そしてこの



「息食動想・環境(そくしょくどうそう・かんきょう)」は



実は全部



「自分でできること」なんです。



だから操体法は、「自力自療」を教えの元に置いていると僕は感じ



てます。



ただね。



現代人はね。



まじめで、忙しくて、情報過多でね。正解を求めてさまよってるん



ですね。



僕も昔は自分一人で全部を解決しようとして苦労していました。



一人でやるとどうしても独り善がりで自分のことが見えないもんで



すからそういう意味でちょっと僕はその考えを横において



「相力想療(そうりきそうりょう)」



=「誰かと力を合わせて、想いあい、いたわりあうことで元気にな



りましょう。」と



伝えているんですね。



それで屋号は和久屋(わきゅうや)=和(わ)を久(きゅう)する



としてあります。



永遠ではないんだけどできるだけ和を続けられるようにという意味



です。



そして、この息食動想・環境



ふとね。なんでこの順番なんだろうと考えてみたんですね。



そしてね。



やっぱり順番には意味があるようで。



僕も操体法を学んで5年以上が経ちましたが



まあ、全部大切といえば、大切なんですが一番頭においてある息、



呼吸がやっぱり一番大切なんだと最近実感するようになりました。



呼吸ってお母さんのおなかの中にいた時は、



羊水に浸かっているから(肺)呼吸してないんですね。



胎盤を通して、栄養と酸素を十分いただいている。



それが、お母さんのおなか(産道)から生まれ落ちた瞬間から



自分の肺を機能させて、全身で呼吸し始めるわけです。



そして、その呼吸って今生きている人なら、今この瞬間まで



ほとんど(病気とかのアクシデントや潜水などの特殊な運動を除い



て)休んだこと、止まったことがないんです。



これってホントに奇跡的なことなんです。



ほんとそれくらい大事なことなんですけど、



ほとんどの方が当たり前で



その大切さに気がついてはいないんですね。



前、なにかのTV番組で、



沖縄のおばあちゃんのコトバが伝えられていたんですけど。



たぶん、



昔はどこの日本の田舎でもそんなことがお母さん方に伝えられてき



たんでしょう。



「泣かない、赤ちゃんは元気に育たないから。



赤ちゃんは泣きたいときに泣かせてあげなさい。」



僕は、最初「ふーんそうなんだ。」



くらいにしか思っていなかったのですが、



自分がいろいろと呼吸のことを調べていくようになって



「ああーやっぱり昔の人の伝えてきたことには大切なことが残され



 ている」



と得心するようになったのでした。




人間は生まれ落ちてから初めて呼吸を学ぶわけです。



世の中では、腹式呼吸とか胸式呼吸とか○○式呼吸法とかいろいろい



いますけど。



本当は人間は身体の前身の筋肉を使って呼吸しています。



赤ちゃんや、動物の呼吸を見ていると呼吸時に全身が動いているの



がわかります。



その中でも特に肋骨周り、お腹周りの筋肉が中心となって



膨らんだだり縮んだりすることで肺が膨張収縮するので結果、



腹式呼吸、胸式呼吸と便宜的に説明されるにすぎないと僕は考えて



います。



しかも人間は他の動物と異なり、コトバを喋ります。



その能力を授かってしまったおかげで、



本来鼻呼吸であるべき呼吸が



口呼吸になりやすいという欠陥もできたことによって



いろいろな問題が起きているということは様々な識者によっても



指摘されています。




話が少しそれました。



呼吸は自分がこの世に生まれ出てきてから



みなが等しく初めて自分の生命維持のために今の今まで



休まずに続けていることに気がついてほしいと僕は思うのです。



先日、保育士を5年前に辞められたお客様がお見えになりました。



べつにどこが不調というわけでもないのですが、



日常のメンテナンスでお見えになりました。



僕が気になったのは、ちょっと呼吸がいつもより「浅いな」と感じ



たことでした。



施術中にお客様の呼吸に自然に自分の呼吸はシンクロするようにな



っています。



これは、意識的というか、無意識的な能力です。



呼吸を合わせて、次第に僕の呼吸にお客様の呼吸が合っていくのが



理想です。



でもお客様の呼吸が浅すぎたり、速すぎる(急ぎすぎている)場合



は僕の呼吸が逆に引っ張られて、苦しさを感じたりするのです。




「○○さん、ちょっといつもよりなんか急いでるかな?」



「ちゃんと呼吸してる?」



と聞いてみました。



すると



『先生。あんまり声を出さないからかねー。』




「そっか○○さんは、




 お仕事でお歌を小さなお子さんに歌ってたもんね。」




『そうなのよ。嫌でも毎日声を出してたらねー。



 

 今はね、家ではまずいでしょ。


 

 だから散歩の時に人がいないと、



 少し口づさむ感じで歌ってるんだー』




「そっかー。じゃあ、実は歌を歌ってたのは


 

 生徒さんのためだけじゃなくて、



 ○○さん自身のためだったのかもね。」



そんな話をしていました。



歌を歌って大きな声を出すと



強制的に呼吸することになるんですね。




大きな呼吸。深い呼吸をすることでのみ



(ご飯食べたりもあるけど)



人間の自律神経は意識的に整えることができるんですね。



だからこのコロナの状況でも

 

多くの人がカラオケなどに行って声を出したくなるのは



この時世に不謹慎でもなんでもなく



自然の摂理(本能)に従っているわけです。



僕は、下手の横好きで三線を弾いて歌を少し歌いますが、



最初沖縄民謡を歌い始めたときは



その曲のゆっくり加減にへきえきしたものです。



のんべんたらりんとしていて、とても歌の息が続かないんです。



一年、二年、今年三年くらいかな。



ようやくなんとなく、



息切れせずに曲が歌えるようになったものもあります。



そうしてお客様にお伝えしていたことが



自分の中で腑に落ちてきました。



鍛えて腹筋をしているわけでもないのに、



お腹周りの脂肪が落ちました。



筋肉はシックスパックに割れてるわけじゃないですが、



お腹が柔らかくなりました。



そして、声を張らなくても声が通るようになり。



口呼吸でなく鼻呼吸を意識しているので、



喉が痛くなったり、風邪をひくことがなくなり



息が長く、深くなってきました。


操体法の息食動想環境の一番最初におかれている



息:息をすること(呼吸すること)



自分で毎日していることですが



自分で意識して、自分なりに



歌を歌ったり、声を出したり、様々な呼吸を試したりして



究めていくと



本当にそれ(呼吸)が



人のためじゃくて、本当に純粋に



自分のためにやってることなんだと分かってきます。



だから先人は



「息が長いこと」=「長い息(いき)」=「長生き(長寿)」と



言ってるんですね。



今日もお読みいただきありがとうございます。



寒暖の差が激しいので体調に気をつけてくださいね。






答えは自分の中にあるとみんな言うじゃない?


猫腰痛


埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。



桜は足早に散ってしまいましたが、



関東地方は例年より暖かいので


ハナミズキ、つつじまで咲き始めてます。



世相が穏やかじゃないので、



花を見ると穏やかな気持ちになれるのは



とてもありがたいです。



「痛い、辛いをわかってほしい」




「自分のことを聞いてほしい」




「自分のことを分かってほしい」




聞いてほしい方が多いです。




まあ、整体院ですから、身体の状態を確認しなきゃ始まりません。




『ここが痛いんですね。』




『ここがこう動きづらいんですね。』




そんなことは当たり前に聞きます。




結構ね。なぜかそれだけで、状態が変わる方もでてきたりします。




からだって本当に不思議ですね。




改めて、身体と心はつながっているって実感します。




でもね。究極言うとね。




お客様の痛みってわからないんですよ。




一人一人感覚って違いますからね。




感じ方が違うので、




僕が痛みを感じる程度と他の人が痛みを感じる程度は




完璧に一致することはないのです。




だから『それは、痛いですねー。辛かったですねー。』という




僕の言葉は




ホント言うと嘘なわけです。




でも不思議と状態は変わるんです。




まあ、相手もつわものですから気がついてる方もいらっしゃる。




「どうせ、こいつ口だけだろ? 




 あなたに私の痛みがわかるわけなんてないでしょう?」




でまあ、『はい』




本音言えばその通りなんですね。




究極本当はそこでご自身で気がついていただきたいんですね。




「あれ? もしかしたら、



 自分のこの痛みは他の人にはわからないんだ。」




「といことは、私も誰かの痛みは分かってあげられないんだ。」




「だから。痛みをわかってもららおうという心もちが違うんだ。」




「この痛みをわかってあげられるのは、わたし一人だけなんだ。」




 ここまで気づいて




「あー、やっぱり自分は孤独だー、一人だー、寂しー、悲しー



 だからやけになってほかの人に当たってしまえー」



 なんて思っちゃうか。



(お客様にも面倒な方が結構いらっしゃいます。)




「あー、本当は自分が自分の痛みを一番わかってあげてなかったん


 

 だーごめんね。私」みたいに、




自分の目を外から内に向けられるかが




とても大切な分岐点なんですけど




やっぱり「それでもわかってほしい」と言われる方多いです。




「自分がこの世界で一番つらくて、痛くて、不幸で、孤独だー」っ



てね。




そこで、最後に地獄に突き落とすみたいなんですけど。




『じゃあ。 


 

 そのあなたの「つらくて、痛くて、不幸で、孤独だー」ってお話




 を物語にして、本にして出版したら、世の中の方が泣いて泣いて




 共感してくれるようなベストセラーになっちゃうかもね。』 




と伝えると




「!??」





 ってちょっと立ち止まってくれる方がでてきます。





人によっては





「いやー、先生、それほどじゃないかもしれませんね。」





言ってくれたりもします。





そう。





よーくよーく聞いて差し上げるとですね。





まあ、僕の人生も人に話してみるとですね。




実に実に凡庸で、平凡で、




一度話したら忘れてしまうようなお話で。




自分で言うのもなんですが、




『じつにつまらなくて、面白くない』




たまに「いやいや、先生そんなことはないですよ。」




なんて慰めてくれるお客様もいたりするのがありがたいのですが。




でもね、ほとんどの人の人生のお話なんて残念なんですが、




『実は人生はたいして、面白くなくて、




 ありふれてるようなものですよ』




と言ったりします。





「そんなことない!」




言いたくなる気持ちもわからなくはないです。




そう思いたい方はまあそうしておいたらいいと思います。




でも、僕がこれまでお話を聞かさせていただいたお客様にもね。




『もしかしたらベストセラーになるかもね。』




くらいの方がたまにいらっしゃいます。




それでもね。




「あれ?もしかしたら自分の人生ってたいしたことないのかな?」




そう自分で思えるとね。




ホントそれだけで、




痛みも動きづらさも、病気も何にも変わってないんだけど。




何かが変わっちゃう。



(数値とか、結果とかそういうものじゃないところだから理屈や理



 論じゃ説明できないところ、まあ人は奇跡とか言っちゃうけど



 ね。かえってコトバにすると陳腐で野暮だね。)




たぶん別の次元に行けるんですね。




「あれ?自分って何をわかってもらいたかったんだろう?」




「実は、わかってもらいたいことってホントはたいしたことなかっ



 たんじゃないか?」




「あれ? そういう答えは実は自分で知ってたのかも?」




「もしかしたらそうかもしれない?


 

 ただそのこと(ありふれた人生)に気がつきたくなかっただけな   



 のかも。」




なかなかそこまで見つめられないですけど。





だから多くの人がスピリチュアル的なものとかね。





今オンラインサロンとかはやりみたいですね。





前は、会場に集められたけど集まれないから




ネットで配信するみたい。




耳障りがよくて、傷つかなくて、否定されなくて、




つかの間の間自分が認めてもらえる気がするのかもね。




でもそのサロンを主催してる方でも最後に




「答えは自分の中にあるんだよー」なんて言ったりするから




タチが悪いよね。




だって答えは自分の中にあるといいながら、




自分の所(他人に)に答えを求めてきたら




「やさしくしてあげる」




「認めてあげる」




「答えを教えてあげる」




『それじゃあ、結局自分に向き合えてないじゃない!』




みたいな矛盾した活動になってるしね。




それならよっぽど




「信仰すれば救われる」(宗教)




「ファンになれば楽しいよ」(アイドル、おたく)





みたいに堂々とやってしまったらいいと僕は思うんだけど。




そこに意味も答えも何にもないのに




結局思考停止させて、一方的に奪うだけの構造になっていることに




なかなか気がつけないようになっているのはね。




まあ、小さい頃から躾、常識、教育で洗脳されることに




慣れている人が日本人は多いから(素直なんですよね。)




『もう自分で考えるようにならないとだめよ!』




という経験になってもらいたいと




僕は思ったりもします。





たまにそんな僕を




「先生、先生、先生! 先生の言う事聞くから助けてください!」




みたいな方たまにいらっしゃいますけどね。




そういうお客様に応えてあげられる先生も世の中には



いらっしゃると思うけど僕はやっぱりそうなれないねー。




嘘だから、まあこの世は芝居と思えば、ウソっこもいいけどね。




感動することもたまにはいいものだし。




でも自分は偏屈、頑固、変わり者ってよく言われるから。




お師匠さまも




「人は、なおせないし、なおさない」って言ってるしね。




僕もやっぱりそう思うし。




僕が見せてあげられるのは、




答え(慰め、救い、承認などなど)




じゃなくてヒント(きっかけ)くらいなんだよね。



救いも感動もなくても、僕との時間が



何かのきっかけになってくれたらいいと



最近は思ってお客様との時間を過ごしています。




いつもまとまりのないお話に付き合っていただいて



ありがとうございます。