入るところと出るところ
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院
いーぱいせんせいです。
七月、もう今年半分過ぎたんですね。
先週の暑さ異常でしたね。
エアコン必須ですが、
汗かかないと
身体は夏モードになりません。
身体の中の熱を逃がすには
やっぱり一度汗をちゃんと
出すことが大切です。
朝早くや日が陰って気温が低い時に
軽い体操などの運動で
汗をかきましょう。
ここ三年なぜか
職人系のお客様が増えました。
お仕事柄でしょうか。
なかなか休みがとれないとか
病院で待っている時間がとれないとか
でも仕事で身体が動かないと困るので
できるだけ短期で変化がでることを
望まれているように感じます。
僕も遠い昔
職人見習いで建具屋さんに
三年ちょっと勤めていたことがあるので
そんな気持ちも少しわかるからか
職人さんが来てくださると
ちょっとうれしい気持ちになります。
職人さんのように普段から
身体をよく使って仕事をされている方は
すこしの力(刺激)でも
身体に反応が出てくる方が多いのも
よくあることです。
「それとても気持ちがいいです。」
などと言われる方は操体でいう
「快の感覚」を感じる能力が高い、
身体の感覚がいいと言っても
いいのだと思います。
昨年お見えになった
鉄骨製作の職人さんは
お見えになった時は
腕に痛みがあり
力が入りにくいのと
腕が上がりにくいことに
困っているとおっしゃられてました。
パッと僕が身体全体を見た感じでは
どうも腕ではなくて
脚、足に問題があるように感じてました。
普通に腕を見ても面白くないので
右腕の痛みと動きづらさを
とりあえずちゃんと確認しておいて
直感が感じる左足指先をちょっと
刺激させてもらいました。
「痛っ! 痛っ! 何ですかそこ?」
怪訝な顔をして
ちょっと強い痛みに耐えられていました。
『じゃあ。
右腕さっきみたいに動かしてみて』
「???!!! あれ?!
さっきより全然動く感じ、いや動く」
あんまりこんなことばかりすると
いつもこううまくはいかないので
注意は必要ですが、
揉んだり、押したり、たたいたり
薬飲んだり、湿布貼ったり、
そういう経験ばかりの人なので
こういう経験をすることも
とても大切だと僕は思ってます。
まあ、他のところで
気になるところも触れて
差し上げましたが、
ふとお客様が
「いや、そういえば腕が痛くなる前
交差点でバイクで停車中に
こけたんですよ。
それで腕も打ったんですが、
こちらの脚と足をバイクと路面の間に
挟んだんです。」
『あーそうですか。
じゃあこんなところはどうですか』
今度は、
打った腕(肩)とは反対側の
身体の左側の背中、肩甲骨辺りの
一点を軽く刺激します。
「うぉー! 痛ったー!」
お客様がまたちょっと
渋い顔をしておられました。
『それじゃあ。もう一度
腕を動かしてもらえますか?』
「うぉー、さっきより
もっと動くし、痛くない!」
刺激を入れた痛みで痛みを
感じなくなったのか
ちょっと疑っていたようですが
今度は、痛みもなくなり
動きもよくなり確信されたようです。
『○○さん、
身体倒れた時に
身体の打ったところから
衝撃(力)が入りますね。
そしたらそのエネルギー(力)が
抜けるところがあるんです。
身体の中である程度分散して
エネルギーは伝わりますが
だいたい入ったその反対側に
抜けていくので、
そこをケアしていけば
早くなおっていきますよ。
多くの方がエネルギーが入ったところ
痛い、壊した方しかみないので
僕は出るところをちょっと
気にして差し上げるんです。』
そんなことを説明させていただけて
○○さんは元気にお帰りになられました。
こんな感覚のよい方のお手伝いを
させていただけてよかったです。
職人さんが元気になってくださると
僕も元気をたくさんいただけます。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
なおさないし、なおせない。
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院
いーぱいせんせいです。
おひさしぶりです。
ブログだいぶご無沙汰しておりました。
前回三月末だったから
ほぼ二か月半ぶりです。
すみません。
皆さまはお元気でしたか?
僕は、おかげさまで
ちょうど昨年の今頃
極端に右腕を上に持ちあげる
筋力が低下してしまい
一時期はどうなることかと
思いましたが、
この半年でほぼ違和感がなくなり
筋力も左側よりも発揮できるまでに
回復してきました。
(逆に左側がまだ回復途上のようです。)
ありがとうございます。
誰にというか、
ほんと身体が思う通り動く
そんな当たり前のことが
改めて感謝しかないということが
腑に落ちた一年だったのかも
しれません。
じぶんで症状をいろいろ調べてみたものの
結局は自然に治癒していくのを
待つよりほかないような答えしか見当たらず、
いつもの通り
自分で自分の身体を触れて
実験し続けました。
この三年コロナ禍で
触れ続けた自分の身体でしたが
さらに深く自分の身体に触れた一年
だったかもしれません。
昨年の暮れまでの半年は
思うように結果が出せず、
自分の力の無さを痛感するとともに
ふと
「ああまた自分をなおしにいってたかな」
と途中気がついて
自分の身体がしていること
自然治癒の邪魔を
できるだけしないことに
途中から心を入れ替えました。
「からだが嫌がることをしない」
「気持ちいいことをする」
これも操体の極意なのですが
実は、快不快というのは
人間の個体個体で
それぞれ感覚が違うので
実は本人さえもその感覚に
気がつけてないことも
多いのです。
僕自身、人に触れられることは
実はそれほど多くありません。
この数年で、
お師匠様のところに行ったときに
お手合わせさせていただく方
数人以外は、僕自身しかいないのです。
なので、痛い、嫌だというのは
自分ではわかるのですが、
では気持ちいいって感覚を
いつもいつも味わえるかといえば
そうではないんです。
そうするとその感覚を
速く探してなおしたいみたいな
自分の身体の意志とは別な
頭の欲望が起きてきて
さらに治癒を邪魔してしまうような
ことも起きてくるのでした。
なかなか結果が思うように出ないまま
いらいら、もやもや、
不安、
「もうだめかな」「なおらないかな」
そんな気持ちに囚われて
ごちゃごちゃになってきて
「もうやめた、なるようになれ」
またそんなところにいけたのでしょうか。
ある時自分の手で、背中を押していたら
「あれ?なんか気持ちがいいかも?」
そんな夜があって
身体が一晩中よく動きました。
動きの中で
気持ちよさを味わい
動きつくす
操体でいう快の感覚とは
そういうものなのかも
しれません。
あくまでも感覚ですから
一人一人違うものでも
よいのだと思います。
どこかに一つの答えが
あるかのような
幻想、錯覚の囚われから
自由になれた時
一人一人に現れる現象かも
しれません。
結局感覚ですから
言葉では説明しきれないので
それはその人が体験するしか
ないのです。
残念ながらそうした瞬間は
何度も味わえるものでもなく
再現性の高い経験
でもないようです。
それは僕のこれまでの短い
操体の経験から感じていることです。
でもそうした瞬間を味わえると
なにかしらの変化が身体にも
心にも感じられるので
生命体としての落ち着きを
取り戻せるようにも
僕は感じています。
今日も訳の分からないお話に
お付き合いいただきありがとうございました。
これからも
なおさないし、なおせない。
そんな操体の世界を伝えることを
続けてまいります。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
操体の自力自療から和久屋の相力想療へ
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院です。
晴れて暑くなるとの予報だったのに
また曇って少し肌寒い関東地方です。
気温のアップダウンに
ついていけない方
痛みや動き辛さに悩まされている方
たくさんお見えになっています。
操体(そうたい)は
自力自療(じりきじりょう)を
その思想の根幹に据えています。
僕自身は、開業した頃は
自分の施術の勉強もかねて
リラクゼーションやもみほぐしの施術を
受けていたこともありました。
開業して一年足らずで
身体を壊し、
一時自分の首の付け根から
親指の先に痛みとしびれが出て
両腕を満足に挙げられなくなって
今の操体のお師匠様に
出会ってからは
お手合わせ以外に
他の方の施術を受けることは
なくなりました。
お師匠様にも
この状況ですから
一年半くらい
会えていないです。
それでも
自分の身体を自分で整えることを
実践してきたことで
自分の腕は
半年ほどで元のように
挙げられるようになりました。
しびれは左手の親指の先に残り
特に、毎朝ひげをそったり
歯ブラシをするときに
肩から親指の先に
しびれを感じるのは
天候や身体の具合によって
感じたり感じなかったり
あともう少しのところに
きているのかなと
最近感じていました。
先月くらいに
たまたまYOUTUBEで見ていた
整体師の方のセミナーに
参加したいとふと思いました。
この方は施術家向けではなく
一般の方向けに
身体のセミナーを主催されています。
なんとなく操体の考えに
近いと考えて参加させて
もらいました。
結果
ほんとシンプルなことだけで
身体が整うスイッチが
勝手に入ることに
改めて感動させられました。
操体も
ほんとに難しいことは
教えないんですが、
「感覚にしたがって」とか
「気持ちよいほうに」とか
今は、その感覚や
気持ちよさが
わからなくなって戸惑って
しまわれる方が多いんですね。
僕はずっと自分の知識や
考え方といったものを捨てて
感覚に注視し続けてきたので、
一人一人違う感覚の入口を
どこに合わせて差し上げるのか
迷いが出てきたのだと
感じていました。
特にこの二年で
自身の身体の変化が大きく
出てきたこともあって
自分のベンチマーク(指標)が
ずれてきていて
それがお客様にもわかりづらく
僕との距離ができてしまって
いたのだとも思います。
そのセミナーの主催者の方は
「生きるということは動くこと、
動くことは、歪みをつくること
原因はたくさんあるし
だから生きている間は
歪み続けるのだから
日々自分で整えることは
必要なこと」
そんな風に教えてくださいました。
僕もよくお客様に
「毎日すこしづつ、お手入れ」
とお伝えしていますが、
歪み(崩れ)をつくることで
動けるんですから
歪みができることは
生きることそのもので
悪いこと、悪じゃないんですね。
崩れたからといって
整えるのが難しかったら
人類はここまで
生き延びてないですから
整える方法は
本当にシンプルなはずです。
ただみんな忘れているだけです。
だから整える方法を覚え直して
自分で整えられるようになれば
操体の自力自療そのものです。
ただ自分だけで
やっていると
やっぱり独り善がりになるので
「家族や友人に伝えていきましょう。」
とそのセミナーの主催者の方は
伝えていらっしゃいました。
全然、隠そうとか
自分だけのためにするとか
そういう心がないようで
本当のことを伝えている方は
惜しみなく利他の精神に
あふれているなと
感動させられました。
僕も最初に操体に出会って
「人間は自らなおるように設計されている」
という橋本敬三医師の言葉に感動して、
お師匠さまも
「自分の痛みや動き辛さは
自分自身の学びのチャンスだよ」
と教えていただいたので、
とにかく自力自療を実践して
「なんとか自分だけでなおしてみせる」
この七年くらいで
意固地で笑えない
頑固な職人気質の
施術家にいつのまにか
なっていたのかもしれません。
そうしてがんばってきたのに
「もうこのしびれはなくならないかな?」
そんな弱気がココロの中に
見えてきたときに
この方に出会うことができました。
「もう一度素直になろうかな」
そうしてセミナーを受けて
一か月が過ぎましたが、
身体の準備も整っていたからか
歯磨き髭剃り時の
なくならないと思っていた
しびれを感じなくなりました。
ほんとにダメだと思ったときは
意固地、頑固にならずに
素直に人に助けを求めることが
大切だと改めて感じています。
操体は「自力自療」を理想として
いますが、僕の理想は
「相力想療(そうりきそうりょう)」
想い合う人同士が、寄り添い労りあって
力を合わせて身体と心が楽になれると
人はどんどん幸せを感じて
それを伝播していけると思っています。
「自分が笑えなくなったときは
誰かに笑わせてもらったら
いいのかな」
操体を通じてそんなことを
これからもお伝えしていきたいと
思い直せた出会いでした。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
「知ってる」のと「やってみる」のは全く違う
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院です。
去年、今年と
安定した五月晴れというのが
なかなかないようです。
今日の関東地方は
雨から曇り
日曜からの暑さから
一転して少し肌寒いです。
明日明後日と少し
天気は回復するようですが
週末は曇りで
上着が必要な陽気のようです。
もう梅雨が目の前ですが
安定しない天候で
身体の不調を訴える方が
多いようです。
そんな時こそ湯船に
ちゃんと身体を浸けて
汗をかきましょう。
「先生、それ
前に聞いたよ、
知ってるよ!」
お客様からそんなお言葉を
頂戴することが多いです。
同じことをお伝えして
申し訳ないと思うと同時に
それでいいんだと
思い直す自分がいたりします。
『馬鹿の一つ覚え』
そんな僕のお話ですが、
多くは、
身体の不調をなくすための
お話です。
呼吸の仕方、
食事の摂り方
身体の動かし方、
自分の想いのくせとの付き合い方
自分の身を置く環境のこと
など。
そうですどれも自分で
やれることなんですね。
操体法の
根本に据えられている
息食動想・環境
どれかの一つでもバランスが崩れると
人間の生体のバランスが崩れ
何かの現象
痛み、動き辛さ、病気などに
なって現れてくると
説かれています。
でもほんとに
どれも自分でできることなんです。
それがいつの間にか
ちゃんとできなくなってしまいます。
ホントはシンプルで
簡単なことなはずです。
だから僕のお伝えすることも
難しいことではなく
できるだけ簡単で
長く、毎日コツコツ
続けられること
それで、
まあ結果もできるだけ
早く出せることに
意識してお伝えしています。
なので、
最初のお客様のような声を
いただく結果となってしまうのかも
しれません。
「先生、そんなの知ってるよ。
それよりもっと
早く、効いて、
結果がでるような
面白いのないの?」
そんなことをお客様は
期待されているのかも
しれません。
『そんな魔法みたいなものは
あれば、みんなやってるよ。』
と言ってしまったり、
僕の生真面目さが
いつも仇となるのですが、
実はそう言われるお客様の
ほとんどが
「知っている」だけで
実際は
「やっていない」んですね。(泣)
そうお伝えしていることが
あんまりにシンプルすぎて
「そんなので変わるわけないよ」
「前にもやったことあるから」
みたいに
やる前に結果を決めつけて
やってみることまで
行きつかない方がほとんどなのです。
じゃあ、そういう方を
どう行動へ結びつけさせるのか
それも僕の工夫が必要ですが
その話はここではすこし
横においておきます。
「知っている」のと
「やってみる」のは違います。
また、
「やってみる」ことと
「できる」こととは違います。
「やっている」からといっても
それが正しくできているかは
違うわけです。
「知っている」から
「やってみる」までにある
考えてから行動に移すまでの
脳の抵抗を破るのが一番
難しいです。
その先に
「やっている」から
「できるようになる」には
その行動を正しく繰り返し
脳に正しく覚えさせる
習慣化と継続が必要になります。
そして
「できるようになる」から
「教えられる」ようになると
脳が行動を分析、解釈して
言語化して自分がその人に
合わせて伝えられるように
なっていきます。
整体でもそうなれれば
もうお師匠さまレベルですね。
「先生、知っているよ」
と言われる方は
実は、コトバでそのことを
ただ聞いたことがあるだけで
実は知らないのと何も同じなのです。
そういう意味で
僕はお客様のことを
知ってるし、
でも知っているからと言って
『○○さんを知ってるよ』なんて
簡単には言わないです。
何回何十回お会いしても
いままで見えなかった
気が付かなかったその方の
本質に出会えたときこそ
僕にとっては
僥倖なんです。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
外を見ても何も変えられない(呼吸の大切さ)
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
急に冬の寒さがもどったと思えば
暖かくなります。
身体が気温差についていかないので
痛みが出る方が多いです。
今年は、花も咲くのが遅れています。
植物は自然に逆らわず生きています。
見習って衣替えももう少し
遅らせるのがいいかもしれません。
寒いなと思ってたら
政府が急に「電力ひっ迫警報」なんて
出して、皆さんご存じでしたか?
僕は知りませんでした。
勉強不足なのでしょうか?
東電さんが会見することなく
政府が急にアナウンスしましたね。
TVもスタジオの照明落としたり、
(消したほうがいいかもしれません。)
それなら地震が起きた時点で
ある程度予想できたことではないのかと
うがった見方をしてしまいます。
そして今度は北朝鮮のミサイルです。
小出しにしていたようでしたが、
EEZ(排他的経済水域)内に着弾したと
夕方のTVはそれで持ち切り
相撲が見られずうちの年寄りは
文句を言っていましたが、
これもなにかウクライナ情勢と
リンクさせて緊張状態を作り出そうと
している何か意図も感じてしまいます。
みなさんはどうお感じですか?
すみません。前段が長くなりました。
こうして、外から入ってくる情報ばかりを
注視していると、
それだけで時間が過ぎてしまい、
自分の気持ちもなんだか普段の生活から
浮足立ってしまっているように感じます。
それらの情報を自分に入れたかといって
何が変わるのかといえば
実は、自分の行動に何らかの変化を
全くもたらしてないことに
気がついたりもします。
そんな時に気がついた時には、
僕は、まず自分の呼吸を意識します。
操体でいうところの息食動想環境の
一番頭にある息「そく=いき」 ですね。
息をすることは普段ともすると
無意識で自動的に行われているので
呼吸が浅くなっていることがあります。
それを意識的に行います。
深呼吸ですね。
やり方はいろいろ紹介されてますから
自分でやりやすいやり方を
選んですればいいと思います。
肝心なのは、
意識を呼吸に向けることです。
回数もいろいろあります。
まあ、僕は三回くらいはやります。
普通は呼吸がゆっくりになりますよね。
速くはならないはずです。(笑)
ゆっくり心がけてください。
吸うのも吐くのも息が長くなります。
何秒とかあんまりこだわらないでいいです。
長く息ができるようになると
長生き=長く生きられる
とも読み代えられます。
先人はよくわかってますね。
簡単に説明すると人間の身体は
活動期、休息期で
身体を使い分けています。
そのコントロールを主にしているのが
自律神経といわれる神経です。
自律神経は
活動期に賦活(活発になる)する交感神経と
休息期に賦活する副交感神経が
バランスよく機能すること
スイッチの切り替えがうまくできることで
人間は健康な活動と休息再生が行われます。
現代人の多くは情報過多、仕事などの
ストレスでこのスイッチの切り替えが
うまく行われていません。
それによっていろいろな不定愁訴が
起きてきます。
自律神経失調症なんて言葉も
よく聞きますね。
まあ、すべての病の根源が
この自律神経の不調によるものだと
言ってしまっても
おおげさではないのですが、
とにかく
自律神経の交感神経優位の状態を
自分自身で
副交感神経優位(リラックスモード)
簡単に戻せるのが呼吸です。
僕の施術の中では、よく、
『はい、じゃあ、鼻から息を吸って、
そしたら、こんどはゆっくり口から
息を吐いてくださいねー。』
とお客様と呼吸を合わせます。
吐くことを大事にされる方が多いですが、
僕はまず、吸う事。
それもちゃんと鼻から吸う事を
お願いします。
鼻から吸えない人が多いです。
僕のように、アレルギー性鼻炎の方や
この季節は花粉症の方も多いですから
鼻で息を吸う事ができず
口呼吸になっている方が多いです。
この口呼吸がまた
諸悪の根源といっていいものです。
人間は、言葉を喋れることにより
口呼吸になりやすくなります。
鼻呼吸で、上咽頭を通った空気は
外からの菌やウィルスを
フィルターにかけて
取り除けるのですが、
口呼吸になるとそれがでなくなり
人間にとって害のある菌やウィルスを
防ぐことができにくくなって
しまいます。
この状況下で
マスクを常時しているだけで
口呼吸になってしまっている方が
多いです。
深呼吸といっても
ただ深く呼吸をするだけではなく
ちゃんと鼻から吸うことを
意識して行い、
無意識下でもそれが
行えるように身体に覚えさせる
ことが大切です。
鼻が悪い方は
鼻うがいや
上咽頭をきれいにする
Bスポット治療などで
鼻をまず改善させるところから
始めてみてください。
片方でも通れば、
少しずつ鼻腔内の菌叢が整ってきて
副鼻腔炎なども
よくなってくるはずです。
呼吸もゆっくり行うことが
大切ですが、
身体がよくなっていくのも
毎日すこしづつの積み重ねで
一歩一歩あきらめないで
行っていくと
ある時にその大きな変化に
気がつくときが必ず訪れます。
僕が、
アレルギー性鼻炎の症状に
悩まされ始めたのが
小学校5年生くらいからです。
10歳くらいで始まって、
大きく変化し始めたのは
20代の後半から漢方の治療を始め
30代半ば以降です。
そして完治したのが
40代半ばですから
35年くらい鼻づまりの症状と
付き合いました。
そんなにかかるの!って
思いますね。
でもおかげさまで
今は風邪の時以外は
鼻づまりに
悩まされることはありません。
薬の処方も通院も
まったくしていません。
鼻づまりの時は、イライラしたり
思考もしにくくなりますよね。
そうした時は、
外の情報に
気をとられるのではなく
まず、自分の身体に
目を向けてみましょう。
そして鼻呼吸で
ゆっくり呼吸してみましょう。
身体が喜んで、心も変化して、
きっと気持ちも前向きに
変わってくるはずです。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院です。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
今朝銀行にでかける途中
近くの農業用水が凍ってました。
久しぶりに関東地方も
寒い冬のようです。
寒い冬は人の出足が鈍りますが、
反して痛む人が増えます。
人が痛むのを喜ぶわけではないのですが
お役に立てる機会が増えるのは
ありがたいことです。
昨年、一昨年とコロナの影響もあり
お客様の来店が減りました。
仕方なくというか
おかげでというか
自分の身体を見つめる時間が増えました。
開業して一年過ぎたあたりから
両肩から手先にしびれが突然きて、
一時は腕を上げたり、
首を振り返るのも困難で
自分の身体を犠牲にして
誰かの身体をみるのは
間違いだとようやく気がつき
操体に出会い、
お師匠様に出会いました。
操体は自力自療を
基本に据えています。
だからお師匠様も
なおしてはくださいません。
自分の身体を自分でお手入れしていく。
今年でそれを意識し始めて
7年が経ちます。
お手入れしているのに
腕のしびれがなくならない
動きづらさがとれない
ぎっくり腰になる。
(ここ三年はないです。)
『プロなのに。
自分の身体さえも
なんとかすることができない。』
そんな状況に
がっかりというか
悲しいというか
惨め
そんな時間を
多く過ごしてきました。
身体は、
時間を経るごとに
痛みが少なくなり、
動きやすくなり、
しびれも断続的になり、
でも元通り、
すんなり
すっきり
スムーズには
なかなかならず。
イライライライラ。
お客様に当たることは
しないので
家族に
あたったことも
少なくありません。
そう、
みんなどこかの世界では
神さまだったかもしれなくても
この世界では人間。
この思い通りにならないことを
味わいたくて来たんだと
教わってなんとなく得心しても
やっぱり納得できない
この未熟な心。
『それで、いいんだ。
それでいいいんだ。』
なだめて、なぐさめて、
励まして。
そうして、また
自分の身体を隅々まで
触れていきました。
おしり
ふともも
あしくび
そけいぶ
あたま
くち
くび
普段は触れないところまで
奥深く隅々まで。
『あーそういえば、
あの時無理して
ランニングしたな。』
『あー仕事でぎっくり腰になったな。』
『たくさん、飲んだし、食べたなー。』
これまでの自分の身体と心に対する
傍若無人な行いが
頭の中によみがえってきました。
『いやー、これ
この10年のだけじゃないね。
これまでの40年の身体の歪みと
偏りをなおしてるんだもんね。
そりゃ時間かかるよね。
ほんとにごめんねー』
そんな気持ちになれた一年でした。
そんな心持になれたからなのか
昨年末からまた劇的に
自分の身体がよくなっていくのを
感じられてきていました。
以前は重症の方をみると
かなり自分も疲れたのですが
なぜか最近は
自分の身体の歪みがとれるようで
とても元気になります(笑)
それは、本当に自分の身体の歪み
偏りがとれてきて
どこか源(ソース)との
導管に、通り道に
完全になれてきているのかも
しれないと僕は感じています。
操体は、
原始感覚を見つめます。
原始感覚って覚えてないから
感じられないんじゃない?
と言う方もおられます。
そうですね。
味わったはずだけど
忘れてしまってるかも。
じゃあ、感覚、勘、第六感とでも
言い換えてもいいでしょう。
ちまたの科学的根拠とかは
とりあえず横においておいて
自分の感覚にしたがいます。
ただ「なーんとなく、いい」
そんな感じです。
そしてあんまり何にもせずに
ただそこに心地よくいるだけ。
今年も自分の身体にやさしく
お客様と一緒に
寛げるように楽しみます。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
本年もよろしく
お願いいたします。
身体の動きとは相対的なもの。だから操体法?
こんにちは。
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
今週は、少しづつ梅雨らしくなってきました。
ただ、雨で蒸し暑いというよりかは、
むしろ気温が下がって、肌寒く感じます。
動くと汗をかくし、止まると身体が冷えて寒いので
衣服でこまめに調整したり、
寝る時も掛け布団を足元にかけておくなど
体調を整えるのにちょっと苦労します。
さて前回ことばが身体を縛りも、解き放ちもする。(その2)、
前々回ことばが身体を縛りも、解き放ちもする。
とことばがけで身体の動きが変わるということを
お伝えしました。
僕の学んでいる(遊んでいる)操体法の中にも基本の動きが
あります。
簡単にいうと、人間の動きは
「前屈、後屈」「右側屈、左側屈」「右捻転、左捻転」と
「圧縮、牽引」の八つの合成で表現されると
説明されているのですが・・・
なんのことだかわからないですよね。(笑)
橋本敬三先生の本にも、般若身経(はんにゃ心→身しんぎょう)と
紹介されていたりもします。
ただ僕のお師匠様は
「やりすぎるとなんかかえって具合が悪くなる」と言っていたり、
僕自身もそう感じるところがあって、お客様にはあんまりお伝えし
ていません。
また、型みたいなので覚えるとどうも、体操みたいになって
(別に体操を批判するわけじゃないですよ)
「何回やったらいいの」とか
「どのくらい曲げたらいいの」とかになってしまいそうなので
ここでは止めておきます。
ほんとは、子供のように気持ちよく自由に動けばいいんですが、
大人は、躾、教育、習慣などで、そもそも気持ちよく動くというこ
とをほとんど忘れてしまってますし、
まあ、こどもでも今は幼稚園などでも姿勢教育がされていたりもし
ますからコトバで身体の動きがしばられてしまっています。
なので、まずコトバで間違って縛られた身体をコトバを使ってほど
いてあげるということと時にはコトバを使わないで
身体の中から欲する動きが出てくるのを待ってあげるということも
必要なのかなと僕は感じています。
僕の療術の中では、人によってはおしゃべりをしたがる方
(僕自身がそうですが)には
「○○さん、今日はちょっと話を少なくして、
身体の声に耳を澄ませてみましょうね。」と
お願いしたりもするのです。
すこし話がそれました。
例えば先ほど紹介したコトバの「前屈」(ぜんくつ)ですね。
これは、小学校の体育で「体前屈」なんてやってるから覚えておら
れる方も多いかもしれません。
立った状態から上半身をおじぎをするように腰を曲げて
指先を伸ばして床に近づける動きです。
これもお客様にやってもらうといろんな動きがでてきますが、
多くの方が上半身を腰の所で折り曲げるという感覚で
動かれている方が多いです。
ただ腰が痛い方などはそれができないので、
股関節(おしり)のところで曲げる意識で動かれている方、
背中、肩甲骨から腕を伸ばそうとする意識で動かれている方
なども見受けられます。
この前屈という動き、僕は床に手がぴったりつくかつかないかは全
然重視してないんですね。手が床にぴたっとついても身体が固い方
や痛みや歪みがある方たくさんいらっしゃいます。
まるで、行者のようにそうされる方もいらっしゃるのですが、
僕は全然違うところをみています。
身体のどこか一部(背中、股関節)が折れるのではなく、
床に手が付かなくても、身体(背中)がきれいに丸まって、
すべての椎骨がバランスよく
他の部分と協調して動いていれば、
身体の歪みや痛みなどの症状も少ないといえるからです。
この前屈という動きを操体法では
「お尻をうしろに(突き)出す」のように説明されています。
僕も初めは、みなさんと同じ腰を曲げるような意識で
上半身を折るように手を床に近づけようとしていたので、
どうもこの「お尻を出す」という動きが理解できないでいました。
コトバではわかっても身体ではできないので、
腑に落ちず、わからないという感じです。
それが、自分の身体が整ってきて、身体の力(筋肉)が
抜けてきて、ある時、自然にお尻が後ろに(突き)出す感覚がわか
ってきました。
前屈というから、
どうしても上半身を腰の位置や股関節の位置で曲げるという
意識がでてしまうのですが、
簡単に言うと「お尻を(後ろに)引く、落とす」感じでしょうか?
すると、身体の重みが踵側に移るので、
重心(バランス)の位置が変化します。そして、
勝手に上半身は前に曲がる(というより)自然に倒れていきます。
膝は前側にしか折れないのですが、
太ももや下肢や骨盤の筋肉がゆるんでくると前屈した時に、
膝が逆に少し後側に折れるような感覚(実際には曲がってない)が
出てきたりもします。
なので「前屈」というコトバは
一見、動きを現わしているように思えるのですが、
実は、お尻を後ろに、(突き)出す、引く、落とすなどの
『動きをつけた結果』
身体(上半身)が前に倒れてきた
『形になっている』
という状態を現わしているだけなのかもしれないと
僕は考えています。
前屈は
足の踵側に重みを移して、重心のバランスが変わると
勝手にお尻が後ろ側に突き出されます。
そして自動的に身体全体のバランスをとるために
は前側に倒れるのです。
踵側に重みをかける時にほんの少し足を逆ハの字に開いておくと
感覚をつかみやすいかもしれません。
逆に後屈は(身体を反らして天井を見るような動き)
足のつま先側に重みを移して、重心のバランスが変わると
勝手にお腹(腰)が前に出てきます。
そして自動的に身体全体のバランスをとるために上半身は後ろ側に
倒れて反らせられていきます。
つま先側に重みをかける時に少し足をハの字に閉じておくと自然に
なるかもしれません。
一つの身体の動きを表すと思うコトバを紐解いていくと
実は、身体の動きの結果を表すコトバだったのかもしれない
ということに気がつき、
動きというのは、部分ではなく身体全体のバランスの変化によって
(バランスを崩すこと)勝手に起きるのだということもわかってき
ました。
そして、身体全体で動けていなくて、身体の部分で動きをつけてい
るような癖が躾、教育、習慣などで長年ついてしまうと身体に痛み
や動きづらさが起こってくるのだということも
僕は最近気がついてきました。
なので、スポーツや体操、お稽古事や仕事などでも身体を一部分だ
け酷使している方、使いやすいところばかり使っている方には
痛みや動きづらさといったものがでてくるのだと考えています。
言い換えるとほとんどがその原因は自分にあるということです。
前回のブログで紹介した簡単な動きの例ですが、
僕がお客様の後ろに立って、お客様はベッドに座った状態で
「○○さん、僕の方を振り返ってください。」とお伝えした時に
・首だけが僕の方に振り返る方。
・肩から上半身が僕の方に振り返りつつ、
首も僕の方に振り返る方。
・腰が振り返る方と逆に少しねじれて、
肩から上半身が僕の方へ・・・・、方。
・膝が床方向に動きながら脚を踏み込み、
腰が振り返る方と逆に少しねじれて・・・・・、方。
と一人一人動き方は全然違うのです。
ぼくから見ると
首だけを動かして振り返る方よりも
身体の部分に細かく分けて、少しづつ動かして振り返る人の方が
身体の歪みや痛みが大きくない印象があります。
古武術などでも、身体を一塊にして動くのではなく
身体を細かく割るような意識を持って動くことが大切と
言われているのには、そうした身体の使い方に
身体が壊れにくい理由が隠されているのかもしれません。
前屈、後屈。
捻転と説明がついちゃいましたね。
最後側屈ですね。
これも座った状態でお客様にお声がけをするときですが
「○○さん、右肩上げて。
そしたらこんどは右肩下げてもらえますか。」
何気ないコトバですが、意外と動きづらい方多いです。
特に「肩を上げる」って、
肩こりや首痛がある方はもともとやりずらいので
「ちょっと辛いです。」と言われちゃう場合あります。
そうした時は、下げる方からコトバがけします。
「○○さん、じゃあ右肩下げて、そして、左肩はあげてね。」と
右肩を下げつつ、左肩はあがるという
自然な協調運動を導けるようなコトバがけに変えてあげます。
するとこんどは
「あ!?ちょっと動きやすくなった。」
と言われたりもします。
さらに
「〇〇さん、下げた肩の方と反対側のおしりに身体の重みをかける
感じでやってみて」と
お伝えすると、肋骨の動きなんかもみえてくるので
「あれ!? もっと動きやすくなった気がする?」
と言っていただけたりもします。
身体の動きに肋骨の意識が生まれてくると
僕らが海から陸上に上がって進化した生物なのだということを
思い出せるかもしれません。
前屈、後屈、左右捻転、左右側屈。
お尻を後ろに出すと、身体が勝手に前に倒れる前屈。
お腹を前に出すと、身体が勝手に後ろに反れる後屈。
左肩落とす(下げる)と右肩が上がる左側屈。
右肩落とす(下げる)と左肩が上がる右側屈。
左に腰をひねると右に肩首が振り向く左捻転。
右に腰をひねると左に肩首が振り向く右捻転。
すべての身体の動きは、一か所だけではなく
全体の協調運動で成り立っていてそして相対的なもの。
絶対的にどこか一か所を動かすことは不自然なのですね。
だから操体法(そうたい)っていうのかもしれません。
自分で難しいコトバを簡単なコトバに置き換えて
動いていろいろ試してやってみてくださいね。
人間本来の身体の動きを取り戻せると
痛みや動きづらさに変化がでてくるかもしれませんよ。
いつもお読みいただいてありがとうございます。
圧(重力)の入り方で動き(痛み)が変わる。
こんにちは。こんばんは、
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
カリンの木に実が目立ち始めました。
風雨で小さい実が落ちるのですが、
木自身が秋にどのくらいの実ったらと
適切な数を決めるのだと思います。
去年はこの40年くらいで3個しか実らなくて最低の数だったので
今年はできるだけ落ちないでと祈ってます。
カリンの木は植物なので植物は動けないのですが、
動けないは動けないなりに自分の命を維持と子孫を残すために、
実を落としたり、葉を茂らしたり、
枝を伸ばしたり、いろんな活動をしているのがわかります。
人間は、植物とは違って動物です。
でも動物も自らの生命の維持と子孫を残すために毎日、
自分の意志でコントロールできる以外の活動を数えきれないほど
行っているのです。
私たちはその活動を意識することはほどんどできないといってもい
いくらいです。
例えば、心臓やその他の臓器も自分で動かそうとして動かしたり、
止めようとして止めたりはできないですね。
人は進化の過程で、
自分の意志でコントロールできない不随意筋(平滑筋)
(無意識でコントロールしてるともいえますが)と
自分の意志で動かすことのできる随意筋(横紋筋)
を発達させて自由に動けるようになり
人間の生命活動をこの地球の広範に広げることができたのです。
以前操体法の根本にすえられている考えの息食動想・環境を紹介し
ましたが、
その三番目におかれている「動(どう)」動くということも、
動物として進化繁栄していく中で、
人が自ら行えることとして獲得した能力でありますが
現代社会では、
人間はその能力を機械や電子機器に肩代わりしてもらうことができ
るようになり自ら動き能力を退化させているともいえます。
そのため僕の療術の中では、お客様の身体の動きを誘導して、
正しく動いていただくことで身体の痛みを和らげたり、
身体の動きをスムーズにして動きやすくなってきます。
僕は僕の療術をセッション、お稽古と紹介するのですが、
ただベッドに寝ていただいて、
受け身で一方的でみほぐしやマッサージを受けるのではなく、
お互いに協調して身体の動きを取り戻すという意味でのセッション
であり、忘れてしまった身体の動きを
「昔のこと、古(いにしえ)を考える=稽古(けいこ)」
思い出して取り戻していただく意味での
お稽古ということなのです。
そして、
操体法の
「自力自療」=「人は自らをなおせるように生まれついている」
ことと僕の理想の「相力想療」へと結びついてくるわけです。
さて、ちょっと話が大きくそれたようですが、
セッションの中で、たまに遊びを取り入れます。
施術ベットに座ってもらった状態で、
身体を右、左へひねっていただきます。
いわゆる振り返り、捻転(ねんてん)
身体をねじる動きをしてもらいます。
まずは、どちらが向きやすくてどちらが向きにくいのかを
確認します。
さらに、痛みがあるのであれば、どちらが強いのか?
どこら辺に痛みがあるのか?も確認していただきます。
できたら、痛いところは、まずお客様の手で触れて、
そして僕の手でも確認します。
ついでにひねった時に「どう感じるか?」も
コトバで表現してもらえたらとてもいいですね。
ひねる動きの確認が終わりました。
そうしたら、僕は、お客様の手を取ります。
僕の場合は直感に頼ることが多いですが、
まあ、利き手がいいかもしれないですね。
または、痛みがない方の手ですね。
そして手を取る時にちょっとコツがいるのですが、
相手の手首を自分の親指の第一関節の内側と人差し指の付け根で
軽く挟むようにして手を取るのです。
相手の手は、手刀にして立てた状態にしてもらって
それを水平方向ではなく、
鉛直方向に上下から挟む感じで挟みます。
「握る、つかむ」というよりは、
「とる、はさむ」という若干軽めな感じです。
例えて言えば、バーベキューなどでつかむトングで
手首を挟む感じといえばいいでしょうか。
これは自分の手で手首をつかむ練習をされるといいでしょう。
さて相手の手首をうまく取れたら
もう一度その状態で、
相手に身体をひねる動きをしていただきます。
右から左。
まずは、先ほどひねりにくかった方はどうでしょう?
ひねりやすくなってはないでしょうか?
逆にひねりやすかったほうはどうでしょうか?
もしかしたら、
もっと身体をひねられるようになるかもしれませんし、
人によっては逆にひねられる範囲が少なくなる方もいらっしゃるか
もしれません。
それは、左右のバランスをとれているという証拠でもあります。
痛みはどうでしょう?
痛みがなくなったり、和らいだりしてませんか?
人によっては、痛みの変化が少なくても
場所が移ってくる方もでてくるかもしれません。
こんな風に
ただ「手を取って動く」だけで
動きやすさや痛みなどに変化がでることを確認されるような遊び
そういう経験をほとんどの人が経験していません。
小さい頃には、無意識的には
夜寝ている間などは身体が自動的に動いて
調整してメンテナンスしているのですが、ほとんどの人は意識的に
そうしたことを経験していないんですね。
もちろん、僕でも人によっては、
うまくその動きを引き出してあげられないこともあるのですが、
その場合は、
手だけじゃなくて、足首だったり、顔だったり、首だったり
いろんなところを探してみます。
この遊びは要するに身体の各所に適当な圧を入れてあげると
身体の動きや痛みに変化がでるということを体験できるのです。
場所については、
僕はその方の身体の歪み(滞り)が大きいところを探して
主に関節ですが、(関節じゃなくても、手先足先や鼻や耳などでも
変化することもあります。)
関節の歪みをとるように、骨と骨が正しい位置で収まるように
圧をかけてあげると身体のエネルギーの流れに滞りが
なくなってきて変化がでるのだと僕は感じています。
ヒトは動く能力を獲得して進化してと書きましたが
実は、ヒトは「立つ」ことで
その能力を進化させたと言い換えることもでき、
さらには、人は立って、身体に重力を快適に通すことにより、
最適(最大能力を発揮できる)に動けるようになると
僕は感じています。
重力が身体に偏りなく抜けるような身体の姿勢(バランス)を
取っていると身体の細胞には、快適な「圧(重み)」が
かかるので、エネルギーが最適に供給されて細胞が賦活して、
生命活動を活発にするわけです。
今は、軽い布団が好まれますが、
今の方は知らないかもしれませんが、古い旅館などに行くとまだ
重くて厚い掛け布団を敷いてくれるところがありますね。
寝た状態で、上から「圧がかかる」と身体にエネルギーが入り再生
されるわけです。
今、お相撲をやっていますが、
ケガなど身体の不調のある力士はその部分を
テーピングでグルグルにまいて締めて「圧」をかけてますね。
まわしもそういう意味では「締めて」ますし、
よくぎっくり腰の方は、サポーターやベルトが必須ですね。これも
圧をかけてます。
他のスポーツでもテーピングは、
ケガの防止、保護、可動域の制限、痛みの緩和などの目的で
使われていますが、別の視点から見ると
「適切な圧をかけてエネルギーが入ることで修復される」という
見方もできると
僕は考えています。
こんな風に僕の療術は、
「遊び」から自分の身体の能力への気づきを促すというものです。
それなので、お稽古とお伝えしているわけです。
よくあるもみほぐしなどを期待されて
「先生、じゃあベッドに横になるからあとヨロシク」
みたいなことを期待されてお見えになる方はだいぶ少なくなってき
ましたが、そこのところをご理解いただいて来院いただけますこと
を心よりお待ちしております。
いつもお読みいただいて誠にありがとうございます。
整体をお断りする時
誰かがなおして(答えを)くれるという思いの癖 自力自療
こんばんは、
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
速いもので四月も今日で終わりです。
昨日は関東地方は久しぶりに雨でした。
こないだの日曜日に市民農園の畑に石灰と肥料をまいたので
この雨で中性化されてエネルギーが入ってちょうどよかったです。
本当は肥料などやらなくてもいいのですが、
やりたがりの家族がいるので僕がやらされるわけです。
自分の意に反して行動することはあんまり結果がよくないのは
整体でもわかっていることなので、
「今年も作物がよくできますように」
とお願いしながらしています。
そうはいいながらも、自分気がつかないうちに
以前のサラリーマン時代の働き方のように
自分がやりたくないことをやらされていることがあったりするので
特にこの仕事を始めてからは
「自分がやりたくない。やってはだめだ。」と感じたときには
言いづらい時もあるのですが、
お客様に正直に「整体をお断りさせていただく」ことがあります。
かといって、
僕もなにも自分の気分でそうするわけではありません。
先日も初めてのお客様がいらっしゃって
問診票を確認させていただいているとき
「僕この世界(TV・放送の業界のようです。)だからさ
いろんなカリスマとかゴッドハンドのところにも行ったことある
よ。でもどこもさ、もう全然でねー」
みたいなことをおっしゃいます。
まあ、そんなことをおっしゃるので。
『来て早々、ハードルあげますねー。嫌な客が来たなー』
とこちらも冗談で返しつつ、施術ベッドに座っていただきます。
(寝させません。)
そのまま座ったまま。
『じゃあ、右振り返って、左肩下げて。
天井をちょっと見上げる感じ』
僕は指示するだけで、少し動きをつけてもらいます。
お客様はちょっと訝しげにですがしたがってくださいます。
『それで、さっきの腰の痛みはどう?』
「あれ?! ちょっと痛くないかも? どうして」
『どうしてだろうね。
僕は、今まで一度もあなたの身体に触れてないよね。
あなた自身がただ少し動いただけだよね。』
「・・・・」
この春先の寒暖の差でぎっくり腰の症状がでてきたのですが
お客様は、狐につままれたように元気に車を運転してお帰りになり
ました。(笑)
こんな感じに、
「あそこも、ここもどこ行っても治らない」
なんてドアを開けるなり言い放つ方は
たいていこちらを試しています。
心の内には
「どうせここでもよくしてくれない。なおしてくれないだろう?」
って疑いの目とこれまでの痛み、時間、費用などに対する
怒り恨みがこちらに向けられています。
でも、
そんなの僕にとっては関係ないことなんですね。
なぜなら。
だって、そういう身体に壊したのは僕じゃなくて、
その人本人なんですから。
(まあ、先天的な奇形、障害を持って生まれた方などは
例外ですけどね。)
まずは、
「ああ、僕がこんな身体に壊してしまって申し訳ないな」って
心に思い至らないと変化はでてきません。
そして、もっと悪いことにそういった方の心の奥底には
「どこかの、誰かが、きっとなおしてくれるはず」というような
依頼心、依存心が心に巣くってしまっています。
この僕のお客様も、
1、2人本当に頼りにしていた治療家の方がいたんですね。
でも「その方が引退や亡くならられてしまった。」
そして「どこにも頼るところがなくなって困っていた。」
僕にしたら、
このお二人の治療家の方も療術に対する心得が間違っていた
と思うんですね。
(まあ、先達先輩に対して失礼だとは思いますが)
「自分がいなくなってお客様が困るような療術を
してはいけない。」
「僕らはなおせないし、なおさない」
「なおすのではなくて、本人になおしかたを伝える」
「人間は自らなおせるようにつくられている」
そういったことが
操体法の「自力自療」の根本に教えられている真髄です。
幸いなことにこの方は、身体に変化がすぐに出てきましたし、
若い頃スポーツに親しんでいた方でしたので、
僕の話すことをとてもよく理解して納得してくださった
ようでした。
もう当分お目にかかることはないとは思いますが、
僕が、この方をお断りすることはないと感じています。
10年ちかく療術をさせていただいてきて、
お断りしたのは数人ですかね。
それでも、すぐにお断りするってことはないんですよ。
やっぱりね。お見えになるんですよ。
ガンの末期でもう治療しても回復の見込みがない。とか
難病で痛みがどうしようもない。とか
病院で見放された方ってさまよって困っていらっしゃる方も結構多
いです。
僕の父も進行性のガンで、
手術後、抗がん剤治療、放射線治療の後のケアを
してくれるところなんてなかなかなかったですし、
だから自分でやるしかなかったし。
まあ、父ですから。再発したとか。
痛いとか文句言われても家族ですからね。
訴えられる心配はないですし、
そこんところは安心してやっていましたけど。
お見えになってご本人は隠そうとしていても
やっぱり分かりますもんね。
そうしたらなかなか断れない。
そういった場合はあらかじめ、
病気の再発や悪影響のリスクをご理解いただいた上で
お身体をみさせていただくこともあります。
これまでも難病、自己免疫疾患やガンの方もみてきました。
ガンの手術でストーマーをつけられて整体を受けられなくなっても
ご本人が希望されるので電話だけでもとお話をお聞きし続けて
鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。
では、僕がどういった方の療術をお断りするかというと
シンプルです。
一つ目は、
「自分の痛み、辛さ、病気の原因を誰かのせいにする方」
以前は、痛いの辛いのがあって参ってる人って
「自分のことを責める人」が多かったんですね。
「仕事も家庭もなにもかもうまくいかないのは、
自分が悪いからなんです。」
そんな想いの癖がある人は、痛いのも辛いのも我慢して我慢して
ひどくなると本当にうつ病になってしまう方もいらっしゃいます。
そんな方にはね。
『そんなに、自分を責めないで、厳しくしないで、
楽にしてください。』
と言ったものですが(そう言ってもできない方が大半)
今は、ちょっと様相が変わってきまして、
「この痛いのも辛いのも、何もかも私が悪いんじゃなくて、
なおしてくれない整形外科、整骨鍼灸院、
整体師がダメなんだ!」
とこちらに文句を言ってこられる方もいらっしゃるので
閉口します。
なぜなら僕も、その端っこに生かしてもらっていますので。
まあ、どこに行ってもなおらなかったんでしょうね。
その怒りが、僕のところでも吹き出してしまって止まらない方もい
ます。
でもね。
僕にしたら
『元をさかのぼれば、
そういった痛みや辛さの原因を作ったのは自分でしょ?』
と言いたいんですね。
よくよくお話を聞かせていただいて、
その始まりをさかのぼっていくと
まあ、先天的な奇形や障害、不慮の事故によるものなどではない限
りやっぱり自分で自分の身体を壊していることに気がつかれます。
気がついてくださると
元に戻らないとしてもやっぱり身体はそれなりに回復してきます。
中には、それでもどうしても自分以外に痛みや辛さの原因があると
訴えられる方もいらっしゃいます。
残念ですがそうした場合は
僕は受付をお断りすることにしています。
そして
二つ目は、
「本当に自分の痛み、辛さ、病気を
自分でなおそうとする気のない方」
これは、人によってちょっとわかりにくい場合があるので
長く通われていても僕のお伝えしていることが伝わっていなくて、
その場の症状(痛みや動きづらさ)が取れるから通ってきてくださ
っている場合もあるので申し訳ないのですが、
病とか痛みがその方にとってメリットになっている場合があるんで
すね。
口では僕に「なおしたいんです。なおりたいんです。」と言ってい
るんですが、実際には心の奥底では「なおりたくない。」そう思っ
ている人です。
だから、僕がいろいろとよくなる術をお伝えしたとしても
口裏を合わせて
「そうですか。先生、それいいですね。こんどやってみます!」
なんて言ってくださるんですが、
実は全然お家でやってくださらない。
そして、また状態が悪くなると僕のところに来て
痛みや辛さがなくなるので
「先生はやっぱりすごいです!
どこ行ってもだめですけどここだけです!」
なんてほめてくださるので、こちらもいい気持ちになって
すっかり勘違いしてだまされてしまうことがあるので
注意が必要です。
こういった方は、整体を痛み止めや湿布と同じように
都合よく対症療法的に見ておられるので結局よくなりません。
僕的には経営的には通ってくださるのですから、
これほどうれしいことはないのですが、
でも、操体法の「自力自療」、僕の本音に反していることなので
いずれ言いにくいことですが、
施術をお断りすることをお伝えしなければならなくなります。
僕自身が身体のバランスを崩していた時は、
自分が自分の身体をいじめてたなんて気が付かなかったんですね。
でも喘息がひどくなって、漢方のお医者様に通うようになって、
本当に治そうと思ったんですね。
その時から、お酒の飲み方、身体を温めることなどを気をつけ始め
ました。
身体がよくなって喘息が出なくなってきても
体重が減りませんでした。
そうして父ががんになりました。
父と一緒に食事療法をして、野菜や果物をとるようにしたり
玄米、砂糖、塩などに気をつけて、
食べる順番、断食なども勉強しました。
そして体重が15キロ以上減りました。
喘息も10年以上起きなくなり
20年以上悩まされたアレルギー性鼻炎による鼻ずまりもなくなり
『体質って変わるんだ。病気ってなおるんだ』ことを
28歳から約20年かけてその変化を実感して体感してきて
今も継続して身体を大切にするようにしています。
だからお客様が本気なのか、
そうじゃないのかってある程度見抜けちゃうんですね。
「なんか特効薬みたいに。
即席、即効、簡単にチュッとなおしてくれるんじゃないか?」
みたいな間違った考え方を持ってるとね。
それでも僕もそんなに教条的(カルト的)に厳格に
やってるわけじゃないんですね。
今は、甘いものもたべるし、
月一度くらいは缶ビール一缶くらいは飲むかな。
たまにはスナック菓子、
ジャンクフードにレモンサワーを飲んだりします。
するとね。
翌日すぐに、鼻がぐずぐずするんですね。
『あーやっぱり。僕には油と化学調味料が合わないんだなー。』
って気がつきます。
そしてジャンクは止めます。
『やっぱり、鼻がつまらない方がいいな、幸せー』って思うので、
また生活をもとの状態に戻してあげることができるんですね。
身体が心地よい方が僕にとっては、
ジャンクフードを食べ続けることより大切なことなんです。
身体に悪いとわかっていて摂ってしまうというのであれば、
それはおそらく心の方になにか満たされない気持ちがあるのかなと
僕は感じています。
でも『身体を悪くしているのは、誰でもなく自分なんだな』と
再確認するためにも、たまのこんな息抜きも大切かなと今は思って
ます。
人生正しいいことばかりだと息がつまりますよね。
だからたまに間違ったこと(世に言われる悪いこと)もしてみる
と、やっぱり正しいことをして間違わないことが心地よいことだと
気がつけるのがこの世界で生きていることなんだと僕も気がついて
きたからです。
(正しさは、その時々で変化するという柔軟な思考も大切です。
たまに間違わなければ、善悪、正邪などに気がつけないのがこの
二元の世でそれを体験しにこの世に私たちは生まれてくるとも言
われています。悪や邪を完全に排除しようとしてもそれは不可能
なことなんです。
それに接して自分がどう対応するのかを、試され、生かされてい
るとも言えます。)
操体法の自力自療は理想です。
理想ってなかなか達成されないことです。
普通の人には、ハードルが高いです。
僕にしても、今はどこの病院に通うわけでもないですが、
たまには、お師匠様のもとで仲間に自分の身体をみていただくこと
もあります。
自分が自分のことを一番よく知っているといわれる方もいらっしゃ
いますが、本来人間は自分のことが自分では、
わかりにくいものです。(鏡を見ないと自分の顔は見られないし、
その顔も本当の自分の顔ではないですね。)
なので自力自療をきわめていってしまうと
どうしても「独り善がり(独善的)」になってしまいます。
そういった意味でも僕は、
相力想療(そうりきそうりょう)
=「お互いに力を合わせて、想い合い、労り合うことでなおる」
ことをお伝えしています。
できれば、断りたくはないんですけどね。
それでもやっぱり、
たまには「ダメは、ダメ」伝えなければならない時もありますね。
今日も読んでいただきありがとうございました。
人のためじゃなく、自分のためにやってたんだね。(呼吸)
こんばんは、
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
もう春を通り越して
初夏のような陽気になってますね。
寒暖の差が激しい季節なので、
少しづつぎっくり腰や寝違いのような症状のお客様が
お見えになってきました。
お客様には辛い痛いことですが
僕にとっては腕の見せ所、ありがたい限りです。
僕のお伝えしている操体法(そうたいほう)
その思想の根幹に据えられているのは
「自力自療(じりきじりょう)」
=「自分の身体は自分でなおせるようにできてるよ。」
その上で
「息食動想・環境(そくしょくどうそう・かんきょう)」
息=呼吸 息をすること
食=食事 食べること
動=動くこと
(※単純に運動するではない、身体を壊さない動き方をすること)
想=想うこと(いつもの自分の考え方)
環境=自分の身を置く場所を選ぶこと
(家庭、職場、地域コミュニティーなど)
このどれか一つでもバランスを偏って崩れた状態(60点以下)で生
きていたりまた、どれか一つでも完璧を求める(100点、完璧)逆
の意味での偏りが見られると人間の身体は、病的な変化を現わして
(現象化)すると教えられています。
「ホントはすべてがほどほどでちょうどいい。」
(少しくらい痛いぐらいでちょうどいい)んですね。
「まにあってればいい。」
そしてこの
「息食動想・環境(そくしょくどうそう・かんきょう)」は
実は全部
「自分でできること」なんです。
だから操体法は、「自力自療」を教えの元に置いていると僕は感じ
てます。
ただね。
現代人はね。
まじめで、忙しくて、情報過多でね。正解を求めてさまよってるん
ですね。
僕も昔は自分一人で全部を解決しようとして苦労していました。
一人でやるとどうしても独り善がりで自分のことが見えないもんで
すからそういう意味でちょっと僕はその考えを横において
「相力想療(そうりきそうりょう)」
=「誰かと力を合わせて、想いあい、いたわりあうことで元気にな
りましょう。」と
伝えているんですね。
それで屋号は和久屋(わきゅうや)=和(わ)を久(きゅう)する
としてあります。
永遠ではないんだけどできるだけ和を続けられるようにという意味
です。
そして、この息食動想・環境
ふとね。なんでこの順番なんだろうと考えてみたんですね。
そしてね。
やっぱり順番には意味があるようで。
僕も操体法を学んで5年以上が経ちましたが
まあ、全部大切といえば、大切なんですが一番頭においてある息、
呼吸がやっぱり一番大切なんだと最近実感するようになりました。
呼吸ってお母さんのおなかの中にいた時は、
羊水に浸かっているから(肺)呼吸してないんですね。
胎盤を通して、栄養と酸素を十分いただいている。
それが、お母さんのおなか(産道)から生まれ落ちた瞬間から
自分の肺を機能させて、全身で呼吸し始めるわけです。
そして、その呼吸って今生きている人なら、今この瞬間まで
ほとんど(病気とかのアクシデントや潜水などの特殊な運動を除い
て)休んだこと、止まったことがないんです。
これってホントに奇跡的なことなんです。
ほんとそれくらい大事なことなんですけど、
ほとんどの方が当たり前で
その大切さに気がついてはいないんですね。
前、なにかのTV番組で、
沖縄のおばあちゃんのコトバが伝えられていたんですけど。
たぶん、
昔はどこの日本の田舎でもそんなことがお母さん方に伝えられてき
たんでしょう。
「泣かない、赤ちゃんは元気に育たないから。
赤ちゃんは泣きたいときに泣かせてあげなさい。」
僕は、最初「ふーんそうなんだ。」
くらいにしか思っていなかったのですが、
自分がいろいろと呼吸のことを調べていくようになって
「ああーやっぱり昔の人の伝えてきたことには大切なことが残され
ている」
と得心するようになったのでした。
人間は生まれ落ちてから初めて呼吸を学ぶわけです。
世の中では、腹式呼吸とか胸式呼吸とか○○式呼吸法とかいろいろい
いますけど。
本当は人間は身体の前身の筋肉を使って呼吸しています。
赤ちゃんや、動物の呼吸を見ていると呼吸時に全身が動いているの
がわかります。
その中でも特に肋骨周り、お腹周りの筋肉が中心となって
膨らんだだり縮んだりすることで肺が膨張収縮するので結果、
腹式呼吸、胸式呼吸と便宜的に説明されるにすぎないと僕は考えて
います。
しかも人間は他の動物と異なり、コトバを喋ります。
その能力を授かってしまったおかげで、
本来鼻呼吸であるべき呼吸が
口呼吸になりやすいという欠陥もできたことによって
いろいろな問題が起きているということは様々な識者によっても
指摘されています。
話が少しそれました。
呼吸は自分がこの世に生まれ出てきてから
みなが等しく初めて自分の生命維持のために今の今まで
休まずに続けていることに気がついてほしいと僕は思うのです。
先日、保育士を5年前に辞められたお客様がお見えになりました。
べつにどこが不調というわけでもないのですが、
日常のメンテナンスでお見えになりました。
僕が気になったのは、ちょっと呼吸がいつもより「浅いな」と感じ
たことでした。
施術中にお客様の呼吸に自然に自分の呼吸はシンクロするようにな
っています。
これは、意識的というか、無意識的な能力です。
呼吸を合わせて、次第に僕の呼吸にお客様の呼吸が合っていくのが
理想です。
でもお客様の呼吸が浅すぎたり、速すぎる(急ぎすぎている)場合
は僕の呼吸が逆に引っ張られて、苦しさを感じたりするのです。
「○○さん、ちょっといつもよりなんか急いでるかな?」
「ちゃんと呼吸してる?」
と聞いてみました。
すると
『先生。あんまり声を出さないからかねー。』
「そっか○○さんは、
お仕事でお歌を小さなお子さんに歌ってたもんね。」
『そうなのよ。嫌でも毎日声を出してたらねー。
今はね、家ではまずいでしょ。
だから散歩の時に人がいないと、
少し口づさむ感じで歌ってるんだー』
「そっかー。じゃあ、実は歌を歌ってたのは
生徒さんのためだけじゃなくて、
○○さん自身のためだったのかもね。」
そんな話をしていました。
歌を歌って大きな声を出すと
強制的に呼吸することになるんですね。
大きな呼吸。深い呼吸をすることでのみ
(ご飯食べたりもあるけど)
人間の自律神経は意識的に整えることができるんですね。
だからこのコロナの状況でも
多くの人がカラオケなどに行って声を出したくなるのは
この時世に不謹慎でもなんでもなく
自然の摂理(本能)に従っているわけです。
僕は、下手の横好きで三線を弾いて歌を少し歌いますが、
最初沖縄民謡を歌い始めたときは
その曲のゆっくり加減にへきえきしたものです。
のんべんたらりんとしていて、とても歌の息が続かないんです。
一年、二年、今年三年くらいかな。
ようやくなんとなく、
息切れせずに曲が歌えるようになったものもあります。
そうしてお客様にお伝えしていたことが
自分の中で腑に落ちてきました。
鍛えて腹筋をしているわけでもないのに、
お腹周りの脂肪が落ちました。
筋肉はシックスパックに割れてるわけじゃないですが、
お腹が柔らかくなりました。
そして、声を張らなくても声が通るようになり。
口呼吸でなく鼻呼吸を意識しているので、
喉が痛くなったり、風邪をひくことがなくなり
息が長く、深くなってきました。
操体法の息食動想環境の一番最初におかれている
息:息をすること(呼吸すること)
自分で毎日していることですが
自分で意識して、自分なりに
歌を歌ったり、声を出したり、様々な呼吸を試したりして
究めていくと
本当にそれ(呼吸)が
人のためじゃくて、本当に純粋に
自分のためにやってることなんだと分かってきます。
だから先人は
「息が長いこと」=「長い息(いき)」=「長生き(長寿)」と
言ってるんですね。
今日もお読みいただきありがとうございます。
寒暖の差が激しいので体調に気をつけてくださいね。
自分を責めがちな人は
こんばんは、
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
日が少しづつ延びて明るくなってるのを感じます。
関東地方は穏やかに晴れて暖かい日になりました。
僕のところにお見えになる方は
身体のどこかが痛いとか動きづらいということで来られるのですが
セッションの中ではお客様がお話いただく問題を解決していくべく
お身体に触れさせていただいて、一緒に動かして、
そして生活の中でそうした痛みや動きずらさを出している原因を推
測して、また問題が起きないような動作改善やお手入れの方法をお
伝えしていきます。
ほとんどの方が、まあ数回(3回くらいかな)で
痛みや動きづらさがなくなっていくのが普通です。
まあ、仕事などで作業負担が軽くならない場合や
長年の間に疲れが蓄積して痛めてしまっている方については
定期的に通われないと無理な場合もあります。
ご自身の生活の中でのケア(お手入れ)や負担のかからない動きを
覚えることなどをおろそかにしてしまっているとまた同じような状
態に戻ってしまうこともあるのですが、
そのほかに身体の状態に変化がでにくい傾向がある方が一定数
いらっしゃいます。
それは、どういうタイプの方だとみなさんは思われますか?
操体法では。基本の教えの根幹に
息食動想・環境
息 そく:息をすること
食 しょく:食べること
動 どう:動くこと
想 そう:想うこと(考え方)心の在り方
環境 かんきょう:自分の身を置く環境
のうちどれか一つでもバランスが崩れると身体に異常を知らせる
サインが出てくると伝えられています。
僕はこの息食動想・環境のうち
特に
想 そう:想うこと(考え方)心の在り方
のバランスを崩してしまっていると
身体の痛みや動きづらさの変化を出にくくさせてしまうと
感じています。
逆にいえば、この想の部分
想いの癖、歪、偏りに気がついて生活の中で
自分への縛りを解いていくだけで
身体の方にはアプローチせずに身体の痛みや動きづらさといったも
のがよくなっていく方も少なくないのです。
身体と心はつながっているとは、多くの方が知るところですが
整体ではこういったことをまさに実感することができることが多い
のです。
痛みや身体の動きづらさに悩みがある方の多くにみられる想いの癖
のタイプというのは
「全部自分一人でやろうとする」
「完璧主義」
「自分を責める」
といったものです。
思い当たるところがある方いらっしゃいますか?
そう僕も会社勤めの時は、たぶんこういった想いにずーっととらわ
れていたかなと
感じています。(おかげでお客様を見て気がつけるんですけど)
言い方を変えると
「融通が利かない」
「頑固」
「独りよがり」
とも言えるかもしれません。
ストレスから心の病になる方も多い現代社会です。
「自分を責める」こうした心の想いの癖から
うつ病になる方も多いですし、
逆に自分ではなく「他人を責める」心の病の新型うつなども
あるようです。
そして一つ間違えると全部ひとりでかかえて、
孤立して、誰にも助けを求められずに
最悪病気やもっと悪いところまで行ってしまう方も残念ですがいら
っしゃいます。
だから、痛みや動きづらさ、病でさえも実は
その人を生かすために守って止めてくれているのではないかと
僕は思う時さえもあります。
僕がそうした心の状態の方にセッションの中でお伝えすることは
『物事を「一人で・全て・速く・間違えなく」
やろうとしないこと。』
そして
そういう方が言えないコトバが
「できない」
「お願い」
「やって」
だったりすることが多いので、
実際に僕の目の前で練習していただきます。
「できな~い」
「おねがーい」
「やってー」
皆さん覚えがありませんか?
そうです。
小さなお子さんが甘えるようにです。
それじゃみなさんもやってくださいね。
はい。
「できな~い」
「おねがーい」
「やってー」
いつもそうやってる方は、たまには自分でやってくださいね。
今日もお読みいただきありがとうございました。
明日も暖かいようです。
春が見えてくると三寒四温で寒暖の差が大きい日が続きます。
気温差で風邪などひかないように注意しましょう。
それではよい週末をお過ごしください。
こんにちは。
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
家の前のかりんの木の葉が黄色色づき、散り始めました。
関東地方の秋もだいぶ深まってきたようです。
冷え込んだおかげで痛みを感じる方も増えてきたのか
おかげさまでご予約をいただきお客様が戻りつつあります。
本当にありがたいことです。
急性の筋膜性の腰痛いわゆるぎっくり腰や首の寝違いなどは、
季節の変わり目の冷え込みなどでちょっとした動作で起きてしまうことが多いです。
そうしたお客様がお見えになったとき、
まれに(まれにという少なさでもないですが。)
痛みがその場でなくなって、あっという間に動けるようになってお帰りになる方が
いらっしゃいます。
まあ、施術者としては、痛みがなくなってよくなって喜んでいただけるのは
ありがたいのですが、実は、心の中では
『これは、完全になおってるわけではないかもしれないなー』
と思っていたりもするものです。
なので場合によっては
『二、三日、一週間してまた痛みが戻るようなら、来た方がいいと思いますよ。』
とお伝えします。
ただ、お客様は痛みがなくなってよくなったと思ってますから、
「先生ありがとう!楽になった!よくなった」と言われて
ありがたいやら悲しいかな、ほとんどがすぐに戻ってこられることはありません。
それが、二、三年、いや長くなると五年以上たってまた同じお客様が同じ症状、
それも今度は重症になって帰ってくることがあります。
「先生、また同じところやってしまった。」
なんておっしゃるのですが、ご本人はまた前のように、
サーっと一発でよくなるなんて思っている方が多いものです。
でも今度はそうは問屋が卸さないわけですね。
痛みがないから動けてしまうので、さらに骨格の歪み、筋肉の疲労が増して
身体が前よりひどく傷んでしまっているわけです。
まして、その方が身体のお手入れをしていることなんてほとんどありません。
そして今度は、週に一度、月に一度、それを半年一年続けて
ようやく回復の兆しが見えてくる方もいらっしゃいます。
そう地道に通えたらまだいいのですが、また一度でよくなること(痛みがなくなる)を
望んで他に移られる方(ドクターショッピング)もいらっしゃいます。
前回の痛みがたまたまとれてしまったのは、
その方にとってその時はラッキーだったのかもしれないのですが、
僕は、痛みが取れてしまったことが実はその人にとっては逆にアンラッキーなことだっ
たのかもと思ったりもします。
僕はお師匠様に「とってはいけない痛みがある」ということを
教えられているのですが、こうした経験を自戒として、
『ああ、操体は、なおさないし、なおせない。』と反省するのです。
それは、お客様が痛みがなくなったからよくなったと思い込んで、
前に痛みが出た時に、その痛みを引き起こした自分の生活の中での偏り(原因)を
見つめて、反省して、変えていくことに導いて差し上げられなかったからです。
だからまた一度で痛くなくなることを望んで、整体をまるで魔法の杖(シップか薬)の
ように求めてしまったのです。シップや薬は、一時的にその場の痛みを取り除き楽にな
りますが、もし自分の身体の自然治癒力が十分に働かない状態で身体の痛みの原因がち
ゃんと修復されなければ、また同じ症状に悩まされます。そしてさらに強いシップや薬
を使うことになります。
いわゆる対症療法です。
それも原因にさかのぼらなければ、いずれは行き詰ることになります。
最終的に身体の状態を悪くして別の病気で手術などになってしまうことさえあります。
身体を見させていただく役目とはいっても、
ただその痛み、動きづらさを単純に取り除けばその人のためになるだろうという安易な
考えは、療術をする側の勝手な独りよがりで、間違っていることもあるのです。
そういう意味で、身体を一瞬でよくするような「魔法の杖」はこの世に存在しないし、
また、療術する者が、そんなこと(「一瞬でよくなる。あっという間によくなる。」)
を言って、その方の生き方の偏りをせっかく痛みや動きづらさが知らせてくれているこ
とを勝手に取ってはいけないと僕は思います。
だから僕は、よくお客様にこうお伝えします。
『痛みや動きづらさは、実は福音(よき知らせ)なんだよ。』
『だって、痛みで動けなくすることで
身体がちゃんとなおるまで壊れるのを防いでくれてるんだもん。』
まあ、あんまり痛みがひどくて長いと、
お客様は分かってくれないで怒りだしたりもしますけどね。
僕の整体は、お客様が訴える主訴(痛いところ動かないところ、悩んでるところ)とは
違うところにその原因を見つけたりします。
首が痛いといわれるのに、足首を触れたり。
腰が痛いといわれるのに、手首を触れたり。
通い続けておれれる方だとだんだんわかってくるのですが
初めての方だと
「先生どうしてそこだとわかったんですか?」
『んー。なんとなくね。』
「そこ昔ケガした古傷があるんです。すごいですねー。」
『・・・』
でも本当は、お客様も自分自身でもけっこうわかっていたりもするんです。
みんなこんなことよく言うでしょ。
「なんだか具合が悪い。」
「なんとなく、風邪引きそう。」
「なんだか、頭が痛い。」
「なんとなく、眠れない気がする。」
たいてい身体の感覚をこんなふうに表現しているはずです。
これって、別によくよく考えたり、根拠とか探ってもわからないはずです。
だって「自分の感覚でなんとなく感じている」ことですから。
だから僕は、ただそれをちょっと研ぎ澄ませているだけともいえるんです。
お客様の身体が僕に訴えかけていることを代弁して
お客様にお伝えしているだけともいえます。
今までも、いろんなことがありました。
バイクで車で正面衝突した保育士の方です。
事故なので、病院とは別に僕のところに通院してくれてました。
事故から一か月ほど過ぎて、何度目かにお見えになった時、
僕がたまたま
『○○さん、なんか眉の上額のあたりに違和感がない?』
「あーそうそう、なんか時々そこらへんが痛む感じがするんだよね。」
『じゃあ、次、病院に行ったときに先生にそれ伝えてみてね。』
そうして、また次にお見えになった時その方が
「先生!、病院の先生に、整体の先生に言われたからと言ったら
それは、先生じゃない。と怒られたのだけど、CT見直してもらったら
額にほんのちょっとしたヒビがあったって。見落としてたみたい。」と言われます。
『あー、その病院の先生が言うことは、当たっているよ。
僕はただの(整体をする)ヒトだからねー』
ありがたいことに、この方は今でも僕を先生と呼んでくださいますが。
また、ある時数年通ってくださる男性のお客様です。
整体が終わって座ってお話をしてらっしゃるときに
「先生、最近下っ腹が張るんだよ、ガスもよく出るし。」
僕は、実はこの方がお見えになるとどうもガスが増えて
自分の便が細くミミズ状になって出るのに気がついてました。
『□□さん、もしかしたらもあるから、
一度ちゃんと(病院)検査したほうがいいと思うよ。』
そうお伝えしてお別れした後
年を明けて、2か月後、僕の携帯に□□さんから着信が入りました。
「先生、俺、あの後腸がすごく痛くなってさー、イレウス(腸閉塞)で緊急入院したら
実はガンでさ、ほんとえらい目あっちゃった。」
この方は、進行性のガンで手術には成功したのですが、
残念ながら約一年後にお亡くなりになりました。
開業当時から身体をみさせていただいていた当院最高齢の女性のお客様は、
東北の震災の被災者の方でした。
遠い親戚を頼ってたまたま、僕の院の近くに越されてきたこともあって知り合いがな
く、たまにひまつぶしの話し相手に僕を訪ねてくださっていたようでした。
そちらにお世話になって数年が経って、やっぱり自分の家ではないですから
なかなか気苦労があります。
僕のところにお見えになっては、いろいろ愚痴がこぼれます。
話の最後には、
「やっぱり、施設にお世話になるのがいいのかねー。」
と繰り返されます。
半年から一年ちかくそういったことが続いたでしょうか。
僕はふと『ちょっとよくないなー』と感じて
『もう我慢しないで、△△さんの思う通りにしたほうがいいんじゃない?』
とお伝えしました。
そうして、数か月が経って△△さんがお見えになって
「先生、私、上唇の内側にガンができちゃったの」
そう言うのです。
そう、その方は繰り返し繰り返し同じことに悩み
我慢して愚痴を繰り返していたのです。
その方は高齢だったのですが(80代)幸運なことに無事に手術を乗り越えて
現在は施設に移られて元気で生活されておられます。
まだまだ、ここに書ききれないほど
お客様、お一人お一人、まるでドラマ、いやドラマ以上に人生は、
僕にその不思議さ、奇跡を目の前で映してくれました。
そして今も見せ続けてくれています。
そういった経験を経て、
僕が思うことは、
何が起きても大丈夫。
だけど、操体(整体)は「魔法の杖ではない。」ということです。
整体だけを受けていたら、病気にかからない。
そんなことは絶対にありません。
操体法では、自分でできること
息食動想・環境(そくしょくどうそう・環境)
息:(正しい)呼吸をすること
食:(正しいバランスの取れた)食事をすること
動:適度に動くこと(運動や体操をするということではない)
想:誤った思いの癖を取り、穏やか感謝できるようになること
環境:自分の身をおく環境を選び整えること
どれも自分でできることを怠って身心のバランスが崩れたときに
病的な現象を発現してくると教えています。
だからぎっくり腰や寝違いなどでお見えになった方で、
特に一瞬で痛みが消えてよくなったと思ってるような方には
最後にこうお伝えすることもあります。
「痛みがよくなっても、皮膚、筋肉と内臓つながりの関係(内臓体壁反射)から
痛みが出ていることもあるからもし痛みが続くようなら一度ちゃんと内科的に
(病院で)調べてもらったほうがいいですよ。」
これは、僕の父に食道がんに見つかる数年前に背中や肩の痛みがあって病院に通い続け
ていたことを自分が気がつけずにいた痛い経験からです。
(その時はそうした知識がありませんでしたし、
痛みがなくなって通院しなくなったのを治ったと勘違いしていました。)
また、毎回毎回、家庭内の問題(家族、パートナー)、
職場の人間関係などについて愚痴をこぼされる方、
同じことを繰り返し繰り返し話すのは、
心理的な問題が解決されていないことを表しています。
それが原因で過食、摂食、皮膚炎、アトピー、自己免疫疾患などを
引き起こされている方もいられます。
そうした方についても、僕の整体だけ受けていても症状が改善することはありません。
いつかは根治に向けて自分が決めて動きださなければなりません。
そんな時は、
「お話をこれ以上聞いても状態は変わらないので、
適切なカウンセラーを見つけられる必要があります。」
とお伝えして療術を断ることもあります。
適切なカウンセラーとは、精神科医、臨床心理士など医療カウンセリングも含めてお伝
えしているつもりですがこれもお客様によっては、センシティブな問題で過剰反応され
る方もいるのでなかなか難しいことでもあります。
(「私は、別におかしくないし!病気じゃないし!」などと言われる方も多いです。)
また、普段は見えないところを見させていただいた時、あざや傷を見つける場合もあ
ります。そうした場合には、本人が「階段で転んだのよ~」なんて言っていても
(医療機関に行きたくない理由もあるのかもしれません。)
時代が時代ですので、その方に精神疾患による自傷行為やDV、小さいお子様の場合は虐
待がないともいいきれません。
その他にも、昼夜逆転した仕事のストレスでうつを発症されて、投薬治療を勝手に中止
して経過観察中に突然お亡くなりになってしまった方もおられます。
こうした場合には、整体は一時しのぎでしかないので、やっぱり整体をお受けいただく
のをお断りします。
残念ながら整体(操体)は万能ではありません。
ある一定以上身心のバランス崩された場合は、
適切な医療機関にかかることが必要だと僕は考えています。
でも、今回の新型コロナの状況を見ていても感じるのですが、
絶対究極唯一の解決方法って実はないんだと思います。
手洗い、うがい、マスク。
PCR検査。
薬。
ワクチン。
どれも実は、絶対にコロナウィルスに感染しない、発症しない、死なないで助かる。
それを保証してくれるものはなんにもありません。
インフルエンザワクチンを見ればわかるように
型(株)が変われば、効果がない可能性もあります。
じゃあ、整体はどうかといえば、
その方の自然治癒力(自己免疫力)を高める可能性がありますが、
それによって100%、病気から逃れることはできないのです。
高齢になればなるほど、次第に免疫力は衰え、菌やウィルスに侵される可能性は高まり
いずれは、人間は何らかの疾患で必ず死ぬのです。
それ以外にも不慮の事故などでもなくなる可能性はどの人でもあるのです。
じゃあ、なんのために僕が生業として整体を選んでいるのか。
実は、はっきりお答えできないこともあります。
正直言えば。
『自分にできること』だからです。
整体を提供していて、整体が役に立たないようなお話をしてどうかと思うのですが、
繰り返しますが、僕の整体は魔法の杖ではありません。
痛みや動きづらさは何かメッセージをその人に伝えているのであって
そのメッセージに気がついていただくための媒介者として
僕は存在していると考えています。
僕のお師匠様が教えてくれたことですが
「操体は施し(ほどこし、施術)にあらず、ハカライなり」
この言葉を僕は、目に見える現象は、善悪、好悪などに分けられることではなく
ただ起きていることそのものを受け止めるだけということだと
解釈しています。
だから僕のコトバをお客様が
どう受け止めようと、どう反応しようと、また聞き流そうともどれも正解。
お客様の選びたいように自由にさせてあげるということを
できるように日々こころがけているのです。
その代わり、僕もお客様にどう対応するかは、
僕のしたいようにさせていただく、その自由を認めていただく。
時には嫌なこと、辛いこと、お客様が向き合いたくないことを
お伝えすることもあります。
「禍福は糾える縄の如し」
「人生万事塞翁が馬」
目の前に現れてくる一見よくないこと(痛みや身体の辛さ、病気など)も
穏やかで向き合えるようになればいいなと思うのですが
なかなか自分だって思うようにならないのです。
なので操体では、「(100点を目指さず)60点で生きる」とも教えています。
このまま僕も悟らず(100点)、60点でゆっくり生きていきたいものです。
今日は、わかりにくいお話になってしまったかもしれません。
いつもお読みいただいてありがとうございます。
こんばんは。
埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。
ほぼ一か月ぶりのブログです。
ちょっとさぼりすぎましたかね。
この3か月、お客様も自分も普段通りでない状況に
どう適応していいのかわからないで軽いパニック状態だったと思います。
それもだいぶ状況を把握して異常は事態はそれなりにどう生活していくのかに
少しづつ慣れて落ち着いてきたように感じます。
ここ数年、自分で食べたアボカドの種を芽吹かせるのが趣味になっています。
前は暖かくなる春から夏に水につけていたのですが、なんか秋から冬を越して芽吹かせ
た方がうまくいくような気がして年に5~10個ぐらい試してみて芽吹いたものは鉢植えに
して、望まれればお客様にお譲りしています。
始めた頃に芽吹かせて4年くらいの木2鉢が僕の部屋にあります。
一鉢は、一度枯れかけたので、夏の間に外に出して置いたら息を吹き返したもの、
もう一鉢は、鉄瓶の水を与えたために葉はたくさん出すもののすぐに直ぐに萎れて
茎がねじれたために添え木を差しているものです。
復活した木は、幹も1cmを超えるくらいに太くなり、葉も青々として丈も50cmくらいにな
りました。ねじれてしまったちょっと病気のような木は、葉はあるものの幹はねじれて
細いままです。
3月頃でしたか、「この添え木を取ったらだめなのかな~」とふと思いました。
思ったらやってみるのが癖です。
50cmくらいになった木を支えていた添え木を取りました。
二鉢の木はともに同じくらいの高さで、ついている葉の数も同じくらいでした。
ただ幹回りの太さは、添え木をしている方が1cmに満たず、元気な方の8割くらいです。
そのため、添え木を外したとたんに、木の幹が葉の重さに耐えかねて頭を下げて大きく
曲がってしまいました。
「あーやっぱり、添え木をしとかなきゃだめかなー」
そう思ったのですが、そのまま様子を見てみることにしました。
一週間、一か月、二か月たっても、曲がった幹はもとに戻らず、元気な木にもたれるよ
うにしてだいたい半分くらいの高さに頭を下げてしまっていました。
「このままだと曲がったままだから元のように成長していけないかなー」
そう思いつつさらに様子を見ていました。
先週、朝起きて、ごはんを食べて掃除をしに部屋に入ると
添え木を外した木の周りになにかが落ちています。
近づいてよくみると、幹の下の方の大きな葉っぱが5、6枚ぱらぱらと落ちていました。
葉っぱが落ちて幹にかかる重みが軽減されたおかげで
下の方に大きく曲がった幹が復元して、前より少しまっすぐになっていました。
まっすぐになってきた幹には正常に重力が作用するためか、
幹の先端からは新しい葉っぱが芽吹いている様子も見られます。
「あーやっぱり、
人がよかれと思って、意図したことが植物にとっては余計なことでもともとそのもの
が持っている生命力の発露の邪魔をしちゃいけないこともあるんだなー。」
と感じました。
僕自身は、まっすぐきれいに育ってくれと願って添え木をしたことが
その木にとってはどうやら余計なことだったのかもしれないということです。
これを自分自身の施術に置き換えてみると
やっぱりよかれと思って、
役に立ちたいと思って、
優しい気持ちを思って
相手(患者さま)を思って
助けてあげたいと思って
もちろん術者のそうした気持ちによって
相手(患者さま)の「治りたい」というスイッチを入れて差し上げることもあるので
一概にそれを否定するわけではないのですが
過度に共鳴共感して寄り添うことで、逆に相手の術者に対しての依存心や依頼心にスイ
ッチを入れてしまい「自ら治る=自然治癒力」の発露を抑えてしま
いかねないということを術者として心の隅にしっかりと置いておくことが大切だという
ことに気がつきました。
操体法では、術者の施術のしすぎ(やりすぎ)を戒めて
「60点」をいうことを肝に銘じさせられます。
(それでもやりすぎてしまう事が多いのですが)
残された40点分は、家に帰ってから、ご本人の身体の力で治っていくことを体感してい
くことで自分の身体への信頼感を取り戻す、貴重な体験へとつながります。
もちろん困った時、苦しい時、行き詰った時に誰かに、何か、助けを求めて行動できる
ことも大切です。ただ、自分の身体については普段から慌てて、誰か、何か(医療、
薬、ワクチン、シップなど)安易に頼るのではなく自分自身の生命力を高めて、自然治
癒力を最大限に発揮できるように普段の生活の中でこころがけてセルフメンテナンスを
していくことが大切だと思います。
そういった意味で痛みは「休みなさい」「生き方を変えなさい」と
いう「よき知らせ(福音)、メッセージ」であると僕はとらえています。
(みんな長く痛いのは辛いので嫌なものですが・・・)
操体法では、その考え方の根本(ベース)に
自力自療
(じりきじりょう:人は自ら治るように設計されている。)
息食動想・環境のバランスの重要性
(そくしょくどうそう・かんきょう:すべて自分で行っていることのバランスの崩れか
ら問題の現象は現れる。)
快の感覚・原始感覚の賦活(活性化して取り戻す)
(心地よい、気持ちよさを味わうと生体は治るようにできている。)など
現代の人間が忘れてしまっている、人そのものが生命であり、その奇跡を思い出させる
ための思想がつまっていると僕は解釈しています。
おはようございます。
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院です。
今年は、花がどこも一斉に美しく咲きほこっているようです。
天気もいいので、外にでて花でも見るのはいいと思います。
さて今回のコロナウィルス対策たくさん報道されています。
マスク、ゴーグル、
手袋、防護服
手洗い
鼻うがい
顔洗い
うがい
アルコール消毒・・・
残念な言い方をするようですが
実は、一時しのぎの物理的な処置でしかありません。
僕はそれが意味がないと言ってるわけではありません。
大切なことだということを理解した上で、一時しのぎだと思ってます。
今は、できるだけ一人一人が感染を予防するということが
感染者数、発症者数が増えていくことをできるだけ遅くすること。
それが医療機関の受け入れ能力を超えて(もう既にそうなりつつあるようですが)
医療自体が成り立たなくなることを防ぐためには、
こうした地道な方法しか有効策は今はないということです。
そういう対応策をとったとしても
今後いずれは、一定数の方がこのウィルスに感染するまでは
事態は収束しないということを理解しておいてほしいと思います。
今はその伝播のスピードをできるだけ遅くしようとしているのであって
これからもウィルスに感染する人は必ず増えていきます。
ただそのことだけを見て恐れないで欲しいのです。
一般的には、一定数の方がこのウィルスに感染して、
このウィルスに対する抗体を身体に持つこと(獲得免疫)によって、
ウィルスが変異し弱毒化していき、残りの人がウィルスにかかっても
重症化しなくなるといわれています。
そして一番覚えていていだたきたいのは、
「感染したからすべての人が発症するわけではない」ということ。
インフルエンザもそうですが、インフルエンザウィルスに罹った(感染した)
からといってすべての人が発症(症状がでる)するわけではないということです。
鼻水が出るだけで終わる人もいれば、熱がすこし出るだけの人もいれば
なんの症状も出ない人もいるのです。
もちろん残念ながら症状が出て、中には高熱や肺炎などにより
亡くなられる方もいらっしゃいます。
インフルエンザでいえば、現在のコロナウィルスの一日あたりの死者数より、
インフルエンザウィルスで一日あたりで亡くなる人数が多いのです。
インフルエンザの季節毎の感染者数は、
今回のコロナウィルスの比ではないのです。
そうした情報もしっかり頭に入れて冷静に行動することも
今求められているのではないでしょうか。
有名人の方が感染した情報やお亡くなりになられた情報はことさらに
強調されて報道されますが、そういった方々でもよく読みこんでいくと
基礎疾患があったり、手術などの治療中であったりすることがほとんどです。
若い方、ちゃんと免疫力がある方はそのほとんどが回復されている様子です。
なので基礎疾患をお持ちの方や高齢者の方と生活されている場合は
その方へ移さない対策をすることは大事なことです。
一度発症した方がもう一度発症したり、検査で陰性の人がのちに陽性になるなど
この新しいウィルスに免疫が得られるのか、治療薬、ワクチン、検査の精度など
今回のウィルスについてはまだまだ未知な部分は多いですが、
テレビ、新聞などの情報を見過ぎると心に無用な心配を植え付けることになりますから
いったん自分に関係のない情報は遮断して、趣味やお昼寝などで気分転換をしましょ
う。
では、ウィルスに感染して、
発症する、発症しないを分ける一番大事なポイントは
なんだと思いますか?
そう。
お一人お一人の
自己免疫力つまり自然治癒力なんですね。
この時に至って大事なのは
頭がいい
筋力がある
持久力がある
かわいい
美人だ
性格がいい
ハンサム
お金持ち
とかじゃないんですね。
自己免疫力の高さなんです。
ウィルスを自分の免疫システムの中で
見つけて、闘って、排除する、そして学習して進化する。
そういったシステムがちゃんと働いてくれるような
身体を養っていることが一番大切なんです。
『じゃあいったいどうしたらいいの?』
そんな声も聞こえてくるような気がしますが
残念ながら、自分の自然治癒能力、自己免疫力を上げるって
今日、明日にすぐどうなるものじゃないんですね。
でも僕は、整体は自己免疫力を上げるために
とても即効力のある有効な解決方法(手段)だと思ってます。
それは、骨格系、神経系、筋肉系などの身体の全般の要素から
その方の身体本来の自然治癒力を上げるアプローチするからです。
(操体は解決方法というより、生き方と思ってます。)
その他にも操体法で伝えられている
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息食動想・環境(そく、しょく、どう、そう、かんきょう)
・呼吸を整える(息)
・食べ過ぎない(食)
・加工品や化学調味料、合成添加物をなるべく取らない(食)
・自然の産物をいただく(自然栽培の作物、天然の魚介類、肉類)
・良質の水を飲む(食)
・仕事のし過ぎ、ストレスをためない(環境)
・よく寝る(良質の睡眠をとる 睡眠環境)
など、今すぐ自分の自己免疫力を上げていくためにできることも
たくさんありますので、これからまたこのブログでお伝えしていきます。
今日はお読みいただきありがとうございました。
こんばんは。
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院です。
外出がままならない状態なので
(べつにうちの周りの散歩とかはいいはずなんですけどね。)
お家で運動されている方も多いと思います。
僕のお伝えしている操体法(そうたいほう)にも
息食動想・環境という基本の教えの中では動(どう)は三番目に置かれていて
基本の動きみたいなものもあるのですが、
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僕のお師匠さまは変わっている方なのでその動きをすると
「ぼくねーあの動きすると翌日なんか調子悪いんだよねー」
なんて言ってしまう方なので、
僕も体操みたいな決まりきった動き型にはめるような動きはお伝えしてません。
(体操を否定しているわけではありません。
それが気持ちいい方は続けてくださいね。)
『じゃあ、なにをしたらいいの?どうしたらいいの?』って
やっぱり聞かれてしまいますよね。
はいどうしたらいいでしょうね。
そこで僕がお伝えしていることはとても簡単です。
いま運動している人、体操やっている方も
やっていることはそのままでいいです。
体操などが苦手な人、運動なんて嫌いという方も
別に体操も運動もしなくていいです。
じゃ僕がお伝えしてることお教えしますね。
「今、自分がやっている動作、動きをゆっくり
やってください。」
はい。それだけです。
拍子抜けしましたか?
別に馬鹿にしているわけじゃないですよ。
施術の中で、操体法では必ず前もって
お客様の身体の動きを確認することがあります。
僕らはこれを動診(どうしん)と言います。
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例えば、肩とか首が痛いという方に
「じゃあ、腕を上げられるまで挙げてみてもらえますか?」
ってお願いするとですね。
たいていの方は
『ここまでは、あがるんだけど、こうするとここが痛いんだよね。』
『右腕はここまであがるんだけど。左腕はほらこんななんだよ。』
って見せてくれたりもします。
たいてい痛みや動きが悪くて困っているわけですから、
みなさん自分の生活の中では確認してるんですよね。
だから得意げに教えてくださる方が多いです。
でもね。たいていの方はその動きを
ぱっと短い時間でやっちゃうんですね。
『ほらほらこんなに困ってるんですよ。』みたいな感じです。
その時にこちらとしては、もう一つ進めてお客様にお願いをします。
「○○さん、今の動きをすみません。もう一度ゆーっくり
やっていただけますか?」
そうするとたいていのお客様はちょっといぶかしるように
『(だからもうやってみせたじゃない!)ゆっくりもう一度ー
仕方ないなー。ほらこーうして、こうやるとここがねー先生
痛いんですよ。』なんてやってみてくださいます。
そこで声を再度おかけして
「〇〇さん、さっきと今で痛みと動きが少し変わったとか
なんかもっとはっきりした感じありませんか?」
なんて伺うと。
『そうだね。さっきよりここまでくると
ちょっと痛みが出てくるようだね。
動きはここからが動きにくくなるみたい。』
なんて答えてくださる方もでてきます。
そうして最後にもう一度
「○○さん、ごめんなさい。面倒だけど、もう一度
いまの動きをさらにゆっくりやってみてくれますか?」
(「面倒だなー」なんて顔をされる方もいらっしゃいますが
この一押しが大切です。
『もう一回ですかー、(仕方ないなー) あれ?。
なんか痛みが和らいだような。 前よりちょっと動けるような気が・・・?』
こんな言葉が出てきたらほんとしめたもんで、僕のお伝えすることもなくなります。
まあ、こんなうまく行くことは3割くらいですが、
実は、多くの方が動きを速くつける癖ができてしまっていると
痛いところ動きの悪いところがよけい悪くなってしまっている場合があります。
動きを速くしてしまうと使いやすい筋肉(表層筋)ばかりが使われてしまって
骨に近いところの(深層筋)が使われなくなってしまって、表面の筋肉が疲れて(疲労)
痛みや動きにくさを作り出してしまうことがあるんですね。
そこで、動作をゆっくり繰り返してしてもらうことによって、
身体の深いところにある筋肉(コアの筋肉なんて言いますね)を目覚めさせて、
バランスよく協調して動くことを運動神経を賦活(活発化させて)神経から脳と筋肉に
思い出させてあげると結果、感覚神経も賦活していて身体に痛みや動きの変化を知覚で
きるようになるわけです。
まずは簡単なところから
別に運動や体操じゃなくていいですよ。
ベットから起きるとか、洋服を着替えるとか、おじぎをするとか。
そんな簡単な動きをいつもの倍くらいの時間をかけてやってみてください。
それをするだけで、自分の不定愁訴が和らいでくることがあったらもうけもんですね。
もし、ゆっくり動く途中で
『こんなこと意味ない!』とか
『イライラしてやってられるか!』
みたいな心の反応がでてくる場合は、
ちょっとストレスが強すぎてお休みが必要です。
お風呂などで身体をあたためて、寝ることをおすすめします。
(なかなか眠れないという方も多いですね。)
そういう方は運動は後にしましょう。
まず寝てよく休むことです。
キーポイントは
「ゆっくり、動く」それだけです。
太極拳や気功などをみるとやっぱり肝は「ゆっくり動く」ということのはずです。
あとはもう一つ大切なポイントとしては呼吸がありますが、睡眠もですが
それはまた次回。
和久屋おひさま整体院です。
この状況にもかかわらず、私に触れられることを求めてきてくださるお客様がいらっし
ゃることに感謝しています。
お見えになるお客様で希望される方には、母屋の方で、施術前にうがい手洗いをしてい
ただけるように対応しています。完全予約制なので、待ち時間もなくほかのお客様と接
することもありません。施術室も母屋とはドアで仕切られていますし、換気もこまめに
心がけています。施術時は僕とお客様だけです。それでも、これだけ報道で「密閉空
間・密集場所・密接会話」の三密を避けるように促されるとそれだけで、僕のような対
面して触れ合う場所においでになるのにはかなりの心理的な抵抗があるはずです。
そういったリスクを飛び越えて、ここまで僕に会いにきてくださるお客様がいてくださ
る。ほんとにこれまでこの仕事を続けてこれてよかったなと思います。
お客様と接する中で、いろいろ不思議なことを体験して、お客様からも「先生はなんで
私のひずみというか身体の滞りの場所がわかるんですか?」とか「どうして事故にあっ
たとか、怪我をしたことまでわかるんですか?」そんなことも聞かれるのですが、正直
言えば、ほんと僕のお師匠様が僕に教えてくださったとおり『ただなんとなく』としか
言えないのですが、まあちょっと宗教的に取られて勘違いをされることもあるのです
が、『僕は僕だけで、お客様に向き合っていない、何かもっと違う次元の存在からのメ
ッセージに耳を澄まして、安心してその存在に僕自身をゆだねている。』そんな説明を
させていただきます。もっと簡単に言えるとしたら『あなたのお父さん、お母さん、ご
先祖様に想いを寄せている。』そんな感じでしょうか?
なので、別に特別なことじゃないし、本当は誰にでもできることなんだと思いますよ。
今の状況にしても、ウィルスに罹患する人の増加、そして発症した重症者が急増して医
療従事者の疲弊、二次感染などにより基幹医療が機能しなくなり、他の疾病の対応まで
マヒすることを防ぐためにこうした緊急避難的な措置をとっているのであって、長いス
パンでみれば、いずれはインフルエンザウィルスと同じで、刻刻と形を変えていくウィ
ルスに僕もいずれは罹患する可能性は高いわけで、でもその時にどのように自分の身体
が反応する(感染するだけ、発症する、重篤化する。)かは僕自身にもわからないこ
と、本当に神のみぞ知るなのかもしれません。だから誰にでも起こりうることであって
これも特別なことではないのだと思います。
といって「そう、じゃあ、誰にでも起こりうることで仕方ないから、外出してもいいじ
ゃん。」みたいに自暴自棄な行動になるのでもなく、また、「ウィルスにうつるから人
に触れたくない!」みたいに恐怖に駆られて過剰反応するのでもなく、どうこの状況に
冷静に応じていけるかということを穏やかに自分の心の中に各自が見つけていく時間を
与えられているのかとまた感じています。
よくスピリチュアルの世界などでは、これを「答えは外側にない、自分の内側にある」
なんて表現されますが、まさに今その時が来てるのかもしれません。有名なヒーラーで
も、スピリチュアルな発信者でもこうした今の状況(新たなウィルスの発現)を発信で
きていた方はほとんどいませんし、人を生きやすく導くために、前述の教えを伝えられ
ていたならば、今こそ「私の言うことを聞くんじゃなくて、自分の胸の内に聞いてこれ
から先の生き方に答えを出してね。」って伝えてあげるのが、その方々がこれから生き
ていく中で最も大切な生きる指針になるかもしれません。(このような状況でまだ「あ
なたの未来の生き方を提示します。」とか「2020年代をどう生きていっていいかをわか
りやすくお伝えします。」みたいに安易に答えをくれるような表現をして人を集めよう
としているものには注意をした方がいいかもしれません。)
僕がお客様にお伝えしている操体法の教えのなかに「自力自療(じりきじりょう)」と
いうコトバがあります。操体法を体系づけられた橋本敬三先生は「人間は本来は自らな
おるようにつくられている」教えられていました。たまたま昨日お見えになったお客様
も自分で身体のケアをしながら約半年なんともなく生活できていたそうです。僕にとっ
ては、なるべくすぐに僕のところに戻ってきてくれれば経営的にはありがたいですが、
長い間もっていたというのは、自分の伝えていることが効いていることの証明でもあり
その方が自分の身体を大切にしてくれているということでもあります。そうした人間の
生命根本に対する理想的な憧憬というか信頼心(ワタシハユイツムニノスバラシキソン
ザイ)を自分自ら持っているかというとなかなか正直難しいのですが、先人が有してい
たその感覚を今この困難に当たって一人一人が思い出し始められるのかなと僕はちょっ
と期待もしているのです。どれもこれも本当はみな等しく当たり前のことなのを忘れて
しまっているだけなのかもしれません。それに気がつけるかを何者かに試されているの
かもしれません。
家族が
1月に引っ越すことになって、
家に残された荷物を
少し移動することになって
お手伝いをしていました。
小さな植木鉢だったのですが、
ちょっと横着して
腰を伸ばしたまま
持ち上げようとしたら
「ピリッ」と小さな痛みを感じました。
「やっちゃったかな?」そう思いながら、
車を運転して買い物をして
その日一日は
無事に動いていられたのですが、
ちょっと腰のあたりの違和感が
抜けないままでした。
翌日はお師匠さまのところへ行く
予定にしていたのですが、
床について身体が右へ左へ動くのですが
どうも違和感から
痛みが増してくる状態になってしまい、
明け方には
「これは今日は
お師匠さまのところへ
出かけるのは無理だ」
とあきらめて、
その日は
まるまるお休みをいただきました。
久しぶりに
ぎっくり腰状態で、
顔を洗うのも、
立ち座りもそろそろと
動かなくてはならず、
咳をするのも
くしゃみをするのも
慎重に気をつけて、
これ以上悪くならないように
過ごしていました。
一日経ってもまだ状態が
完全にはよくならなかったのですが、
お客様のご予約がありましたので
久しぶりにベルトをして
施術をすることにしました。
「○○さん、
僕も3年半ぶりくらいで
ぎっくり腰になっちゃってね。
まだ本調子じゃないから
ベルトしてるんですよ。」
そんなお話をしていたら。
『先生は、
ぎっくり腰になったら
どうするの?』と聞かれたので
「うーん、
もうこうなったら、
僕の身体は僕の施術では
どうもならないからねー。
お風呂入って温めて、
その後はポリ袋に
水にさらした氷を入れて
気持ちがいいところ
に当てて熱を取ってね、
あとは安静にして
身体さんに
お任せするしかないねー。」
『でも痛かったら、
辛いからなんとかしようと
したいでしょ?』そう聞かれて
「うーん。
でも治るときは
ある程度痛いの
仕方ないんだねー。
相当痛みがあって
寝られないとか以外は
シップや痛み止めは
僕は使わないようにしてるから
もう少ししたら
痛みが引いて動けるようになって
よくなっていくはずだよ。
だから僕は
痛みはよき知らせって
お客様には説明するんだけど、
みんな痛いのは嫌だから
なかなかお客様には
わかってもらえないねー。」
今日もベルトはしていますが、
だいぶん身体が
動けるようになってきました。
ここ数年自分で
自分の身体を
整えられるようになって、
数年ごとに
痛みで動けなくなってしまう時が
数日あったりするのですが、
それは過去の運動や仕事で痛めた
身体のゆがみがだんだんと
とれてきているのだと感じています。
長い間かけて
ゆがんできたんですから、
それが一日二日でとれるなんて
都合が良すぎますよね。
こうして動けなくなる時があって
ふだん痛みなく
当たり前に動けることが
どんなにありがたいことなのかを
思い出すことができます。
自分の身体を大切にするって
なかなかできないものです。
僕はプロですから、
自分の身体の痛みや
動きをゆっくりみつめていますが、
みなさんは痛みが強くてつらい時は
専門家の方に頼ってくださいね。
こんばんは、
おひさま整体院です。
2020年、あけまして
おめでとうございます。
今年もどうぞ
よろしくお願いいたします。
僕が整体を学び始めて10年が過ぎ、
仕事としては、
8年目を迎えたのですが、
当初は父のガンの
手術後のケアのためとのこともあり、
開業当初は、
父を亡くした後の心の喪失感と
自分の技量のなさから
おみえになるお客様の症状に
変化を出して差し上げることができずに
ずいぶん苦しんだ時期がありました。
それは、自分の心の中に
強く「なおしてあげたい」という
気持ちがあったため、
自然にお客様の自然治癒力を導き出して
「なおる」という状態を
作って差し上げられなかったのだ
ということが後から分かってきて、
「なおしてあげたい」気持ち
→「なおしてもらいたい」気持ちを
作り出しては、
その人そのものの持っている
自然治癒力が発揮されなくて、
「先生なおす人、私なおされる人」
という固着した関係を
作り出してしまったり、
「なおしてあげたい」が
「なおらない人」を作り出す
悪循環を作り出していることに
気がついた時には愕然としたものでした。
幸い、
自分の身体が
思うように動かなくなって、
そうした仕組みに気がついてきたので、
今はおかげさまで、
「僕がなおしてさしあげる」
という地点から
「お客様が自らなおる」というところまで
お伝えすることが
できてきたように感じています。
それが、昨年の終わりから、
身の回りでいろいろな方が亡くなられたり、
また、なおせない病気を
発病される方がお見えになって、
また僕のそうした心の在り方に
「ズレ」が生じたのかと
思わされるような出来事が続いたのですが、
心にある僕の感情の中には
以前とは異なる感情があるのに
気がつかされました。
それは、「自分一人でなんとかしている」
のではなく
「自分の周りにある存在に
たくさん支えてもらっている」
というような感覚でした。
それは自信というより、
安心感、安寧、くつろぎといった
感覚なのかもしれません。
そうしたことを踏まえて
今年はさらに自分自身は脱力して、
さらにお客様自らの潜在的能力を
発揮していただけるようになるように、
当たり前に自分の整体を
みなさまにすすめて
提供させていただきたいと
思っております。
2020年1月18日(土)までは
キャンペーンを実施しておりますので
是非この機会にご利用ください。
それでは、
本年も
どうぞよろしくお願いいたします。
和久屋おひさま整体院
関川 俊
ご利用いただき誠にありがとうございます。
おかげさまで本日で
開業8周年を迎えることができました。
ここまで院を続けてこられたのも
長年皆様に支えられてきたことのおかげと感謝しております。
来週より来年1月18日まで
いつもの通り施術キャンペーンも予定しております。
今後も皆様の健康のお役に立てますように
いつも笑いの絶えない整体院を目指して参ります。
いつもありがとうございます。
和久屋おひさま整体院
代表 関川 俊