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整体(操体法)は魔法の杖ではありません。

整体(操体法)は魔法の杖ではありません。 

猫腰痛



こんにちは。

埼玉県草加市稲荷の和久屋おひさま整体院です。

家の前のかりんの木の葉が黄色色づき、散り始めました。

関東地方の秋もだいぶ深まってきたようです。

冷え込んだおかげで痛みを感じる方も増えてきたのか

おかげさまでご予約をいただきお客様が戻りつつあります。

本当にありがたいことです。






急性の筋膜性の腰痛いわゆるぎっくり腰や首の寝違いなどは、

季節の変わり目の冷え込みなどでちょっとした動作で起きてしまうことが多いです。

そうしたお客様がお見えになったとき、

まれに(まれにという少なさでもないですが。)

痛みがその場でなくなって、あっという間に動けるようになってお帰りになる方が

いらっしゃいます。

まあ、施術者としては、痛みがなくなってよくなって喜んでいただけるのは

ありがたいのですが、実は、心の中では

『これは、完全になおってるわけではないかもしれないなー』

と思っていたりもするものです。

なので場合によっては

『二、三日、一週間してまた痛みが戻るようなら、来た方がいいと思いますよ。』

とお伝えします。

ただ、お客様は痛みがなくなってよくなったと思ってますから、

「先生ありがとう!楽になった!よくなった」と言われて

ありがたいやら悲しいかな、ほとんどがすぐに戻ってこられることはありません。






それが、二、三年、いや長くなると五年以上たってまた同じお客様が同じ症状、

それも今度は重症になって帰ってくることがあります。

「先生、また同じところやってしまった。」

なんておっしゃるのですが、ご本人はまた前のように、

サーっと一発でよくなるなんて思っている方が多いものです。

でも今度はそうは問屋が卸さないわけですね。

痛みがないから動けてしまうので、さらに骨格の歪み、筋肉の疲労が増して

身体が前よりひどく傷んでしまっているわけです。

まして、その方が身体のお手入れをしていることなんてほとんどありません。

そして今度は、週に一度、月に一度、それを半年一年続けて

ようやく回復の兆しが見えてくる方もいらっしゃいます。

そう地道に通えたらまだいいのですが、また一度でよくなること(痛みがなくなる)を

望んで他に移られる方(ドクターショッピング)もいらっしゃいます。

前回の痛みがたまたまとれてしまったのは、

その方にとってその時はラッキーだったのかもしれないのですが、

僕は、痛みが取れてしまったことが実はその人にとっては逆にアンラッキーなことだっ

たのかもと思ったりもします。





僕はお師匠様に「とってはいけない痛みがある」ということを

教えられているのですが、こうした経験を自戒として、

『ああ、操体は、なおさないし、なおせない。』と反省するのです。

それは、お客様が痛みがなくなったからよくなったと思い込んで、

前に痛みが出た時に、その痛みを引き起こした自分の生活の中での偏り(原因)を

見つめて、反省して、変えていくことに導いて差し上げられなかったからです。

だからまた一度で痛くなくなることを望んで、整体をまるで魔法の杖(シップか薬)の

ように求めてしまったのです。シップや薬は、一時的にその場の痛みを取り除き楽にな

りますが、もし自分の身体の自然治癒力が十分に働かない状態で身体の痛みの原因がち

ゃんと修復されなければ、また同じ症状に悩まされます。そしてさらに強いシップや薬

を使うことになります。

いわゆる対症療法です。

それも原因にさかのぼらなければ、いずれは行き詰ることになります。

最終的に身体の状態を悪くして別の病気で手術などになってしまうことさえあります。

身体を見させていただく役目とはいっても、

ただその痛み、動きづらさを単純に取り除けばその人のためになるだろうという安易な

考えは、療術をする側の勝手な独りよがりで、間違っていることもあるのです。

そういう意味で、身体を一瞬でよくするような「魔法の杖」はこの世に存在しないし、

また、療術する者が、そんなこと(「一瞬でよくなる。あっという間によくなる。」)

を言って、その方の生き方の偏りをせっかく痛みや動きづらさが知らせてくれているこ

とを勝手に取ってはいけないと僕は思います。

だから僕は、よくお客様にこうお伝えします。

『痛みや動きづらさは、実は福音(よき知らせ)なんだよ。』

『だって、痛みで動けなくすることで

 身体がちゃんとなおるまで壊れるのを防いでくれてるんだもん。』

まあ、あんまり痛みがひどくて長いと、

お客様は分かってくれないで怒りだしたりもしますけどね。






僕の整体は、お客様が訴える主訴(痛いところ動かないところ、悩んでるところ)とは

違うところにその原因を見つけたりします。

首が痛いといわれるのに、足首を触れたり。

腰が痛いといわれるのに、手首を触れたり。

通い続けておれれる方だとだんだんわかってくるのですが

初めての方だと

「先生どうしてそこだとわかったんですか?」

『んー。なんとなくね。』

「そこ昔ケガした古傷があるんです。すごいですねー。」

『・・・』

でも本当は、お客様も自分自身でもけっこうわかっていたりもするんです。

みんなこんなことよく言うでしょ。

「なんだか具合が悪い。」

「なんとなく、風邪引きそう。」

「なんだか、頭が痛い。」

「なんとなく、眠れない気がする。」

たいてい身体の感覚をこんなふうに表現しているはずです。

これって、別によくよく考えたり、根拠とか探ってもわからないはずです。

だって「自分の感覚でなんとなく感じている」ことですから。

だから僕は、ただそれをちょっと研ぎ澄ませているだけともいえるんです。

お客様の身体が僕に訴えかけていることを代弁して

お客様にお伝えしているだけともいえます。





今までも、いろんなことがありました。

バイクで車で正面衝突した保育士の方です。

事故なので、病院とは別に僕のところに通院してくれてました。

事故から一か月ほど過ぎて、何度目かにお見えになった時、

僕がたまたま

『○○さん、なんか眉の上額のあたりに違和感がない?』


「あーそうそう、なんか時々そこらへんが痛む感じがするんだよね。」


『じゃあ、次、病院に行ったときに先生にそれ伝えてみてね。』

そうして、また次にお見えになった時その方が


「先生!、病院の先生に、整体の先生に言われたからと言ったら
 
 それは、先生じゃない。と怒られたのだけど、CT見直してもらったら
 
 額にほんのちょっとしたヒビがあったって。見落としてたみたい。」と言われます。



『あー、その病院の先生が言うことは、当たっているよ。

 僕はただの(整体をする)ヒトだからねー』

ありがたいことに、この方は今でも僕を先生と呼んでくださいますが。


また、ある時数年通ってくださる男性のお客様です。

整体が終わって座ってお話をしてらっしゃるときに


「先生、最近下っ腹が張るんだよ、ガスもよく出るし。」


僕は、実はこの方がお見えになるとどうもガスが増えて

自分の便が細くミミズ状になって出るのに気がついてました。


『□□さん、もしかしたらもあるから、

 一度ちゃんと(病院)検査したほうがいいと思うよ。』

そうお伝えしてお別れした後

年を明けて、2か月後、僕の携帯に□□さんから着信が入りました。


「先生、俺、あの後腸がすごく痛くなってさー、イレウス(腸閉塞)で緊急入院したら
 
 実はガンでさ、ほんとえらい目あっちゃった。」


この方は、進行性のガンで手術には成功したのですが、

残念ながら約一年後にお亡くなりになりました。




開業当時から身体をみさせていただいていた当院最高齢の女性のお客様は、

東北の震災の被災者の方でした。

遠い親戚を頼ってたまたま、僕の院の近くに越されてきたこともあって知り合いがな

く、たまにひまつぶしの話し相手に僕を訪ねてくださっていたようでした。

そちらにお世話になって数年が経って、やっぱり自分の家ではないですから

なかなか気苦労があります。

僕のところにお見えになっては、いろいろ愚痴がこぼれます。

話の最後には、

「やっぱり、施設にお世話になるのがいいのかねー。」

と繰り返されます。

半年から一年ちかくそういったことが続いたでしょうか。

僕はふと『ちょっとよくないなー』と感じて


『もう我慢しないで、△△さんの思う通りにしたほうがいいんじゃない?』

とお伝えしました。

そうして、数か月が経って△△さんがお見えになって

「先生、私、上唇の内側にガンができちゃったの」

そう言うのです。

そう、その方は繰り返し繰り返し同じことに悩み

我慢して愚痴を繰り返していたのです。

その方は高齢だったのですが(80代)幸運なことに無事に手術を乗り越えて

現在は施設に移られて元気で生活されておられます。


まだまだ、ここに書ききれないほど

お客様、お一人お一人、まるでドラマ、いやドラマ以上に人生は、

僕にその不思議さ、奇跡を目の前で映してくれました。

そして今も見せ続けてくれています。





そういった経験を経て、

僕が思うことは、

何が起きても大丈夫。

だけど、操体(整体)は「魔法の杖ではない。」ということです。

整体だけを受けていたら、病気にかからない。

そんなことは絶対にありません。

操体法では、自分でできること

息食動想・環境(そくしょくどうそう・環境)

息:(正しい)呼吸をすること

食:(正しいバランスの取れた)食事をすること

動:適度に動くこと(運動や体操をするということではない)

想:誤った思いの癖を取り、穏やか感謝できるようになること

環境:自分の身をおく環境を選び整えること

どれも自分でできることを怠って身心のバランスが崩れたときに

病的な現象を発現してくると教えています。


だからぎっくり腰や寝違いなどでお見えになった方で、

特に一瞬で痛みが消えてよくなったと思ってるような方には

最後にこうお伝えすることもあります。

「痛みがよくなっても、皮膚、筋肉と内臓つながりの関係(内臓体壁反射)から

 痛みが出ていることもあるからもし痛みが続くようなら一度ちゃんと内科的に

(病院で)調べてもらったほうがいいですよ。」

これは、僕の父に食道がんに見つかる数年前に背中や肩の痛みがあって病院に通い続け

ていたことを自分が気がつけずにいた痛い経験からです。

(その時はそうした知識がありませんでしたし、

 痛みがなくなって通院しなくなったのを治ったと勘違いしていました。)

また、毎回毎回、家庭内の問題(家族、パートナー)、

職場の人間関係などについて愚痴をこぼされる方、

同じことを繰り返し繰り返し話すのは、

心理的な問題が解決されていないことを表しています。

それが原因で過食、摂食、皮膚炎、アトピー、自己免疫疾患などを

引き起こされている方もいられます。

そうした方についても、僕の整体だけ受けていても症状が改善することはありません。

いつかは根治に向けて自分が決めて動きださなければなりません。

そんな時は、

「お話をこれ以上聞いても状態は変わらないので、

 適切なカウンセラーを見つけられる必要があります。」

とお伝えして療術を断ることもあります。

適切なカウンセラーとは、精神科医、臨床心理士など医療カウンセリングも含めてお伝

えしているつもりですがこれもお客様によっては、センシティブな問題で過剰反応され

る方もいるのでなかなか難しいことでもあります。

(「私は、別におかしくないし!病気じゃないし!」などと言われる方も多いです。)

また、普段は見えないところを見させていただいた時、あざや傷を見つける場合もあ

ります。そうした場合には、本人が「階段で転んだのよ~」なんて言っていても

(医療機関に行きたくない理由もあるのかもしれません。)

時代が時代ですので、その方に精神疾患による自傷行為やDV、小さいお子様の場合は虐

待がないともいいきれません。

その他にも、昼夜逆転した仕事のストレスでうつを発症されて、投薬治療を勝手に中止

して経過観察中に突然お亡くなりになってしまった方もおられます。

こうした場合には、整体は一時しのぎでしかないので、やっぱり整体をお受けいただく

のをお断りします。





残念ながら整体(操体)は万能ではありません。

ある一定以上身心のバランス崩された場合は、

適切な医療機関にかかることが必要だと僕は考えています。


でも、今回の新型コロナの状況を見ていても感じるのですが、

絶対究極唯一の解決方法って実はないんだと思います。

手洗い、うがい、マスク。

PCR検査。

薬。

ワクチン。

どれも実は、絶対にコロナウィルスに感染しない、発症しない、死なないで助かる。

それを保証してくれるものはなんにもありません。

インフルエンザワクチンを見ればわかるように

型(株)が変われば、効果がない可能性もあります。


じゃあ、整体はどうかといえば、

その方の自然治癒力(自己免疫力)を高める可能性がありますが、

それによって100%、病気から逃れることはできないのです。

高齢になればなるほど、次第に免疫力は衰え、菌やウィルスに侵される可能性は高まり

いずれは、人間は何らかの疾患で必ず死ぬのです。

それ以外にも不慮の事故などでもなくなる可能性はどの人でもあるのです。


じゃあ、なんのために僕が生業として整体を選んでいるのか。

実は、はっきりお答えできないこともあります。

正直言えば。

『自分にできること』だからです。

整体を提供していて、整体が役に立たないようなお話をしてどうかと思うのですが、

繰り返しますが、僕の整体は魔法の杖ではありません。

痛みや動きづらさは何かメッセージをその人に伝えているのであって

そのメッセージに気がついていただくための媒介者として

僕は存在していると考えています。





僕のお師匠様が教えてくれたことですが

「操体は施し(ほどこし、施術)にあらず、ハカライなり」

この言葉を僕は、目に見える現象は、善悪、好悪などに分けられることではなく

ただ起きていることそのものを受け止めるだけということだと

解釈しています。

だから僕のコトバをお客様が

どう受け止めようと、どう反応しようと、また聞き流そうともどれも正解。

お客様の選びたいように自由にさせてあげるということを

できるように日々こころがけているのです。

その代わり、僕もお客様にどう対応するかは、

僕のしたいようにさせていただく、その自由を認めていただく。

時には嫌なこと、辛いこと、お客様が向き合いたくないことを

お伝えすることもあります。


「禍福は糾える縄の如し」


「人生万事塞翁が馬」

目の前に現れてくる一見よくないこと(痛みや身体の辛さ、病気など)も

穏やかで向き合えるようになればいいなと思うのですが

なかなか自分だって思うようにならないのです。

なので操体では、「(100点を目指さず)60点で生きる」とも教えています。

このまま僕も悟らず(100点)、60点でゆっくり生きていきたいものです。


今日は、わかりにくいお話になってしまったかもしれません。

いつもお読みいただいてありがとうございます。