なおさないし、なおせない。
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院
いーぱいせんせいです。
おひさしぶりです。
ブログだいぶご無沙汰しておりました。
前回三月末だったから
ほぼ二か月半ぶりです。
すみません。
皆さまはお元気でしたか?
僕は、おかげさまで
ちょうど昨年の今頃
極端に右腕を上に持ちあげる
筋力が低下してしまい
一時期はどうなることかと
思いましたが、
この半年でほぼ違和感がなくなり
筋力も左側よりも発揮できるまでに
回復してきました。
(逆に左側がまだ回復途上のようです。)
ありがとうございます。
誰にというか、
ほんと身体が思う通り動く
そんな当たり前のことが
改めて感謝しかないということが
腑に落ちた一年だったのかも
しれません。
じぶんで症状をいろいろ調べてみたものの
結局は自然に治癒していくのを
待つよりほかないような答えしか見当たらず、
いつもの通り
自分で自分の身体を触れて
実験し続けました。
この三年コロナ禍で
触れ続けた自分の身体でしたが
さらに深く自分の身体に触れた一年
だったかもしれません。
昨年の暮れまでの半年は
思うように結果が出せず、
自分の力の無さを痛感するとともに
ふと
「ああまた自分をなおしにいってたかな」
と途中気がついて
自分の身体がしていること
自然治癒の邪魔を
できるだけしないことに
途中から心を入れ替えました。
「からだが嫌がることをしない」
「気持ちいいことをする」
これも操体の極意なのですが
実は、快不快というのは
人間の個体個体で
それぞれ感覚が違うので
実は本人さえもその感覚に
気がつけてないことも
多いのです。
僕自身、人に触れられることは
実はそれほど多くありません。
この数年で、
お師匠様のところに行ったときに
お手合わせさせていただく方
数人以外は、僕自身しかいないのです。
なので、痛い、嫌だというのは
自分ではわかるのですが、
では気持ちいいって感覚を
いつもいつも味わえるかといえば
そうではないんです。
そうするとその感覚を
速く探してなおしたいみたいな
自分の身体の意志とは別な
頭の欲望が起きてきて
さらに治癒を邪魔してしまうような
ことも起きてくるのでした。
なかなか結果が思うように出ないまま
いらいら、もやもや、
不安、
「もうだめかな」「なおらないかな」
そんな気持ちに囚われて
ごちゃごちゃになってきて
「もうやめた、なるようになれ」
またそんなところにいけたのでしょうか。
ある時自分の手で、背中を押していたら
「あれ?なんか気持ちがいいかも?」
そんな夜があって
身体が一晩中よく動きました。
動きの中で
気持ちよさを味わい
動きつくす
操体でいう快の感覚とは
そういうものなのかも
しれません。
あくまでも感覚ですから
一人一人違うものでも
よいのだと思います。
どこかに一つの答えが
あるかのような
幻想、錯覚の囚われから
自由になれた時
一人一人に現れる現象かも
しれません。
結局感覚ですから
言葉では説明しきれないので
それはその人が体験するしか
ないのです。
残念ながらそうした瞬間は
何度も味わえるものでもなく
再現性の高い経験
でもないようです。
それは僕のこれまでの短い
操体の経験から感じていることです。
でもそうした瞬間を味わえると
なにかしらの変化が身体にも
心にも感じられるので
生命体としての落ち着きを
取り戻せるようにも
僕は感じています。
今日も訳の分からないお話に
お付き合いいただきありがとうございました。
これからも
なおさないし、なおせない。
そんな操体の世界を伝えることを
続けてまいります。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
自分の身体を見つめる
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院
いーぱいせんせいです。
三月が終わりです。
ブログ書かずに二月が終わってました。
母が、逃げるようにいく二月で
さっさと行ってしまう三月だと
教えてくれました。
ずっと書けずにいてすみませんでした。
最後にさっさと書いていきましょう。
昨年の春に久しぶりに師匠以外の先生に
教えを乞いに出かけ、
長年あった腕の違和感、手のしびれが
ほとんどなくなりました。
その先生にちょっと嫉妬してか
調子に乗って
「もっともっと」と
自分を知らずに追い込んでました。
神さまの罠ですね。(笑)
いつものように
ある日突然(ほんとは突然じゃない)
反対側の腕の力が入らなくなりました。(笑)
不思議と痛みはないんですね。
ただ、
やかんを持っている手が
自然に下がってカップにぶつかる。
物干し竿に洗濯をかけたハンガーが
あとちょっと持ち上げられない。
目の前の鏡を拭こうとして
自分の手が重くて肩より上に
上げられない。
そんな日常の何気ない動作が
当たり前にできなくなりました。
ちょうどお客様に
重症筋無力症のお客様が
いらしたので
その方のお話をおうかがいして
『あ!もしかしたらお客様は
こんな感覚を味わってらっしゃるのかも?』と
肩腕手指にしびれが出た時と
同じような思いをまた味わいつつ
同時に
『もしかしたら自分も
何かの病気なのではないか』という
怖れや不安に囚われる時間も
味わいました。
ただ、この仕事をしている習性なのですかね。
肩首に激痛が急に出て
両腕から手先まで痺れた時も
やっぱり病院に行こうとはならないんですね。
『自分でこの辛さと向き合おう』てなります。
もう変態ですね。(笑)
皆さんはちゃんと病院へ行ってくださいね。
そんなんで手のしびれが
10年経って消えたと思ったら
今度は痛くないけど腕が挙げづらく
力が入らなくなってしまいました。
『まあ、ひと月もすれば大丈夫だろう』
ちょっと甘かったです。
一か月、二か月、三か月・・・
なかなか変化が出てきません。
イライラ焦る気持ちも加わって
不安に落ち込むときもあって
でも教えていただいた身体の動きを
繰り返し繰り返し続け、
これまでの操体の技術も含めて
身体に寄り添いました。
「自分をなおそうとしない」
を意識して心がけ
無理することなく
できることを
気持ちいいだけ
疲れた時は
お休みして
「毎日少しづつ」
いつもお客様に伝えていることを
自分も実践します。
昨年末くらいから
痛みというか違和感があるところが
すこし感じられるようになってきました。
そうしたらその部分も
よくよく触れていきました。
一応ネットで調べてみると
感覚神経(痛み)は傷つかないけれど
運動神経だけが傷ついて
筋肉の力が低下する症状が
あることがあることもわかり
一安心ネット社会は便利です。
そこにも数か月から一年で
自然に回復することが多いと
説明されていたのも
僕を不安から解放してくれたことが
大きかったかと思います。
あともうちょっと力が入れば
というところまで
回復してきました。
年が明けて
三か月が経ち
あともうほんのちょっとで
左右の筋力差がなくなるところまで
整ってきています。
途中やっぱり自分の心に囚われて
「もっと速く、もっと早く」と
焦った時はなかなか変化が
見えてこなくてさらに焦る
悪循環に陥りそうになりましたが、
焦って不安な自分に気が付いて
心を身体に寄り添わせ
身体の時間に合わせるように
心がけました。
『身体には、身体の都合と時間があるから』
そんな心持ちです。
そんな気持ちに心が変化してきたら
身体の方も、
挙がらない力の入らない腕だけでなく
足首、腰、おなかにも
まだこわばって痛みがあるところが
見えてきました。
『ついでにここも直してよ』
身体がそんなことを
訴えてくるような感覚です。
ふと頭や顔にも手が動きます。
10年前師匠を紹介された兄弟子に
「先生の頭の後ろガタガタだー」と
指摘されて、
『え?そんな頭ガタガタかな?』と
訝しく思ったものですが、
改めて自分の頭をよくよく触れたら
『あれ?なんか後頭部丸くなってない?』
そんな新たな気づきもありました。
明日から4月、
僕もようやく自分本来の身体を取り戻し
お客様とちゃんと向き合える準備が
完了したようです。
今日は近くの用水沿いの桜も
散り始めました。
桜ともお別れちょっと
センチなさみしさもありつつ
新たなスタートを目の前にして
自分への期待に
胸を膨らませています。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
小さなことから始めましょう。
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院
いーぱいせんせいです。
2023年1月ももう終わり
なんですね。
すみません。
今日が本年始めてのブログです。
ぼーっとして過ごしてしまいました。
遅ればせながら
本年もよろしくお願いいたします。
年頭に当たり
今年の目標なんて立てる方も
多いですね。
「今年は〇キロ痩せる」
「今年は結婚する」
「今年はパートナー見つける」
・・・・僕のことでしょうか。
大きな目標立てがちですね。
立てた目標が大きすぎて
兆しも見られないまま
変化がなくて途中で
挫折してしまうなんてこと
僕にもよくありました。
僕でいえば
「手のしびれを無くす消す」
「肩の違和感を無くす消す」
「お客様を一回で直す技術を身に付ける」
前はそんなたいそうな目標を
立てたものでした。
年も半分終わる頃には
「あーまだしびれがある」
「あーまた肩がゴキゴキ鳴る」
「あーまた痛みがとれなかった」
そんなことで日々
達成できていない目標を
思い出さされて
凹むことの繰り返しでした。
ふと前の会社での
品質管理の経験を思い出しました。
大きな目標は
クレーム数の減少だったのですが、
僕が会社の同僚にお願いしたのは、
自分の部署の小さなスペースの
整理整頓でした。
全体で大きな取組みをするのではなく
個々が持ち場の整理整頓を
徹底するので心理的な抵抗が少なく
毎日少しづつできる範囲で
継続して取り組んでくれました。
取り組んで数年
年間のクレーム数が約1/3になり
大きな結果を出しました。
結果が出ると
その取り組み以外にも
新しい目標ができて
行動が継続され結果が
出続けました。
そこで整体でもまた
「小さな成功体験を積む」を
意識して目標を立て直しました。
「心地よく動ける動きを見つける」
「症状(クリック音、しびれ、痛み)
を追いすぎ、無くそうとして
症状に囚われないようにする」
「お客様の痛みをあえて残す」
そんなことを意識して目標に
自分そしてお客様に
整体をしていったところ
腕の力が入らなくなるという
落とし穴がありましたが、
それも順調に回復し、
その他の症状も少しづつ変化が
よい方へ出始め、
なぜかお客様の身体にも
変化がさらによく出る
ようになりました。
どうしても辛い症状があると
目先の痛み辛さに囚われて
しまうのですが、
そういう時ほど
自分の目線を少しだけ
変えてみると
結果が
すぐにとはいえないですが
より小さな変化を
感じられるように
なってくるように
思います。
最近お客様にお伝えしているのは
身体の連動ですが、
一番シンプルなことで
腰を伸ばして(反らして)立てた時には
首を下に顎を引きます。
背中を丸めて腰を寝かせた時は
首を上に顎を上げます。
これが身体的には正しい連動なのですが、
多くの方はできなくなっています。
背中を丸めて腰が寝て
椅子から滑り落ちそうな状態で
下向きにスマホ見てる方が
ほとんどですね。
こうした間違った連動を
身体が習慣的に覚えていくと
ストレートネック、
頭痛、肩こり、しびれ等の
症状が突然出てきたりもします。
先ずは、この正しい連動を
小さな動きから
始めていただくことが
症状の緩和には特に有効です。
そこで
首腰を動かしていくときの
一番のポイントは目線です。
腰を寝かせて首を上にする時は
少し目線を上天井を見る感じです。
逆に
腰を伸ばして首を下にする時は
少し目線を下床を見る感じです。
この動きの時に「小さな目線」
ほんの少しの眼の動きを
意識してあげることが
大切です。
小さなことからコツコツと
誰かがそんなことを
おっしゃられていましたね。
今年もそんなことを目標に
整体をしていこうと思っております。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。
本年もお付き合いいただき
誠にありがとうございました。
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院です。
寒さがだいぶ冬になりました。
日中の日差しが穏やかで
ピリッとした空気が
僕は嫌いではありません。
年の瀬に三年ぶりに
腰がピリッとして
ちょっと参りましたが
無事に年を越せそうです。
いつも皆様には
訳の分からない文章と
お付き合いいただき
誠にありがとうございます。
自分ではなかなか思うように
できない面倒なこの身体も
なにか「もうそろそろ
行きたいように、生きたいように
生きていいよ」と
伝えてくれているようで
単に目で見るのではなく
以前のように、
自分の手で見る
自分の身体で
お客様を見ることが
できるように
戻りつつあるように感じています。
私を含めみなさま身体に
不平不満愚痴文句弱音のある方々が
身体というかみ、奇跡の集合体
全体性を再び取り戻せるように
またお手伝いさせていただけたらと
思っています。
世相は明るくありませんが、
皆様にとって来る年が
明るい未来につながりますように
祈念しております。
いつもお読みいただき
誠にありがとうございます。
人のコトバを受け取らない
こんばんは
埼玉県草加市稲荷の
和久屋おひさま整体院です。
11月も終わりなんですね。
ブログもだいぶご無沙汰です。
暖かい11月だったので
ぼーっとして過ごしてしまいました。
(いつもか)
明日、冷え込むようです。
お風呂入って身体を温めて
寝ましょう。
二年ぶりにお師匠様に会ってきました。
誕生日のお祝いで弟子たちが
たくさん来てました。
僕も弟子のひとりですが
先輩方に比べたら
操体を遊び始めての年数は
浅いのでまだまだペーペーです。
師匠が最近はまっている手を
教えてくださって
弟子たちはそれをめいめいに
練習していきます。
僕はひねくれものなので
あんまり素直にそれを
しようとしないので
師匠はあきらめてみてくださいます。
夜行バスで仙台まで行ったので
ちょっと横になって
寝させていただきます。
師匠の誕生日なのに
そんなことをしても許してくれる
そんな場所があることが
ほんとにこの二年を経験して
身に染みてありがたく感じられました。
ある先生が
そんな僕の姿を見かねてか
近くにお見えになって
お手合わせさせていただきました。
『触れていいですか?』
僕はただそれだけお伝えして、
適当に二の腕を触れさせて
いただきました。
僕は、普段はもう何かを
どうしようという目的も
ほとんど考えてないので
(さすがにお客様の時はちょっと考えてます。)
ただ触れるだけです。
ほとんどお声がけ、
質問もしません。
するとお相手の先生が
「僕は、最近こんな感じで
触れているんですよ。」
と同じように僕の二の腕に
触れてくださいました。
僕の身体は
まあ触れられると勝手に
動きますから
身体に任せて
自発動を味わってました。
自発動は本来は無意識下で
でてくる身体の動きが
意識下で出てくる状態だと
簡単には説明されます。
まあ、出ようが、出まいが
そんなの最近はどうでもいいんですが。
なんとなく感想としては、
「何かのコトバに囚われた手だなー」
が出てきました。
操体を遊んでいくと
前後、左右、上下
なんとなくそんな位置を
見つけて自分の置き場を
探すような、争い諍い
比較の世界から抜け出て
いくように僕は感じてます。
僕も囚われから完全に
抜け出ることは不可能ですが
お相手する方が
調和より比較の世界に強く
まだ囚われていると
そうした印象が出てきます。
「僕はこういう触れ方を
しています」という
コトバの中には、
まだまだそういう心が
見えたり隠れたりしている
ことが現れていたと
僕は感じました。
僕の「触れていいですか?」
というコトバかけもそうなのですが
施術する者の中で
お客様にこうしたコトバかけを
したほうがいいよみたいな
教科書的なルールがあります。
そうして一度学ぶと
僕らは知らず知らずのうちに
そのコトバにしばられてしまうのです。
もう一つ施術する中で
教えられることですが、
人を触れる時に
「手を上から被せるように
触れてはいけない
手は身体を下から
支えるようにして
触れなさい。」
要は僕らは
「人を救う手」を持つので
下からすくえというわけ
なのかもしれません。
今の僕のからすれば
これもあくまでも
教科書的な教えであって
実際は下からでも上からでも
いいのです。
救うことなんてことは
究極できないことで
そうした教えに
縛られてしまうこと自体が
施術(ほどこし)というところから
の脱却を妨げてしまう
大きな要因になっていると
僕は感じています。
わけのわからない話に
お付き合いいただいて
ありがとうございます。
こんな僕のたわごと
コトバを決して受け取っては
いけませんよ。
いつもお読みいただいて
ありがとうございます。