• 記事検索

  • 更新メール通知
  • このブログの更新通知をメールで受け取ることができます。
  • New Photo
  • 220822_sunflowersakura petal
RSS

「覚醒・目覚める」って


「覚醒・目覚める」って


猫腰痛


こんばんは



埼玉県草加市稲荷の




和久屋おひさま整体院です。




過ごしやすい穏やかな晴れの日でした。




台風、季節外れの暑さがようやく終わったと思ったら




週末からはどうやら気温が下がり冷え込んでいくようです。




ほんとジェットコースターのような天候で




身体がついていかない方も多いと思います。




今度こそお風呂で身体をよく温めて




ぎっくり腰や寝違いで急に痛みがでないように注意しましょう。







「覚醒する・目覚める」なんか最近よく見かけるコトバですが、




はやりなんですかね。




ここ二年近く、世の中はちょっと異常事態ですからね。




否が応でも、ウィルスや感染症、




肺炎、病気のことなどを見聞きさせられる毎日です。




そうするといい意味でも悪い意味でも、




自分の健康、身体に目がいくようです。





生物は、この世での役割を終える(子孫を残す)と自然に崩壊して





この世から去りいなくなれます。





(子孫を残さなくてもいなくなりますし、





ほんとはいなくなってはないのかもしれないですが)





「病気になりたくない。死にたくない。」





脳を発達させてココロも持っている人間に





特異な意志みたいなものですかね。





生命の危機を目の前に他の生物と違って、





自分の生命を維持しようと恐怖みたいな感情にとらわれやすい。




だからそうならないために、




自分に備わっているかもしれない普段の能力以上の力を得られると




そんな危機を回避できると思っているのかもしれません。




人によっては、自分に目を向けていくのではなく




スーパーパワー? 神の力? サムシングレート? 




偉大なるなんとか? もろもろ。




宗教みたいなものに傾倒しちゃう人も




中にはいらっしゃるようです。




(本当の宗教は「宇宙の法則(教え)」だから





何かを特別崇拝するのとは違うと僕は思ってますけど。





本当の信仰心はただの感謝に近いのかな。)






宗教みたいなものや何かにすがるより、




まあ自分の身体やココロに目を向けられた方が




ましなのかもしれません。




それで「覚醒・目覚め」とかのコトバが出てくるのでしょう。




親父の病気のケアからなんとなくこの世界に入って




10年以上の月日が経ちました。




僕にもこれまで何度か自分の体験の中に、




『これが「覚醒・目覚め」なんてことに近いのかな?』




なんて経験をしましたが、




でも今、世の中でお話されているような




「覚醒・目覚め」とはちょっと違うのかな




という思いがあります。







世間で言われるそれは、




自分が今の自分さらに超えて




何か特別な能力を身に付けられる。




例えば、




「スーパーマン見たいに空を飛べたり、瞬間移動できたりする。」




「先のことが予知できて危険を回避できる」




「再生能力があって、病気やケガからすぐに回復できる」




ちょっと極端な表現過ぎるかもしれませんが、




まあそれを薄めたくらいの能力でも得られるのではという




「まだまだ自分の中には誰もみたことのない能力が



 

 眠っているはず」




ような淡い期待を抱かせるような思想やムーブメント、




それも簡単に、速く、お安くそうなれますみたいなノリ?があり




なぜだかうまくマーケティングされてパッケージングされて、




(「今申し込むと追加分は割引で」のような・・・)




急いで買わされる能力みたいなものだったりするようです。




まあ、トレンド、はやりみたいなものですかね。




なのでいずれ早いうちに忘れられるものかもしれません。






逆に僕のとらえる「覚醒・目覚め」って





期待外れかもしれないですが、もっと普通なものです。





自分の中にある当たり前の感覚や動きを





捉え直せるということなのだと思ってます。




また、何か新しくて特別な能力を得るというよりか、




人によっては、もしかしたら感覚を失ったり、




動きを失うことによって




自分が得られる新な境地みたいなもので、




足す(プラス)ではなく、引く(マイナス)から





身体と心の中にもともとあった何かに





気がつけるという状態を得られるということです。





コトバにすると表現しきれないので難しいですね。








違う表現をすると





自分のいつもはお酒に酔った状態で、





酔いから覚めた状態になった「しらふ」の状態が





「覚醒・目覚め」なんじゃないかということです。





だから特別な自分じゃなくて、ホントの自分、





当たり前の自分に、





もとの自分に戻れるだけだということです。





そういう意味でいうと





本当の「覚醒・目覚め」





(本当がホントにどれかは分からないですが)





実は、目新しくもなく、興奮もなく、ただ淡々で穏やかな状態。





だから多くの人々にとっては退屈で、





つまらない状態かもしれないと僕は感じてます。








この二年近くの騒動があまりに大げさすぎて、わざとらしくて、





でもそう思えない人々は、





まだ酔いの中にいるのかもしれないです。





それでも、





「あれ?これってなんかおかしくない?」と





気がつき始める人々の中に、





もともと自分にあるものを見つめていくことで





「当たり前がありがたい」みたいな感覚を持たれる方々が





僕は「覚醒・目覚め」みたいな状態に立ち始めているのだと





思ってます。






書いていけば、書いていくほど書きたい内容から





どんどんどんどん離れていくようです。(笑)





さて今の僕自身は、





「覚醒・目覚め」の状態にあるのかさえもわからず、





ここ何年もいつも同じように生活しています。





(マスクは施術中ちょっとするようになりました。)





だから「覚醒・目覚め」が





本当のところ実はどんな状態かでもいいと思ってます。(笑)





目覚めようが、目覚めまいが、





まあそれもその人それぞれ自由。





世界が最悪の状況に陥るようなことが





吹聴される向きもありますが、





やっぱりそれでも自分は自分。






生かされている間はこの世界に生きていようと思ってます。





いつもお読みいただいてありがとうございます。






ここずーっと




訳のわからないブログで





申し訳ありません。(いつもか)